誕生日は祝ってもらうもの・・・と思っている人は多いかもしれませんが、自分が誕生した日というのは「母親が何時間もの陣痛に耐え、生死をかけて闘った苦難の日」でもあります。
そういう意味では「自分を生んでくれた母親に感謝する日」とも言えます。
「そんな苦痛を伴う陣痛を経験して早〇年が経つ、ということをお祝いする日」とも言えます。
子どもの誕生日を迎えるたびに私はいつも両方の観点でお祝いをするのが良いと思っています。
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出来事は一つですが、そのとらえ方はさまざまです。
一つの事実をどのように受け止めるかでその後に抱く気持ち・感情に変化が訪れます。
「教育」という概念もその受け止め方でその後の思考回路が変化します。
一般的には「教え育てる」という定義をすると思いますが、私はいつも「教わり育つ」という定義づけをしています。
前者は主体が教える側となり、後者は主体が教わる側となります。
教育が誰のためにあるのか?・・・といえば、「教わる側」のためにあるのであって、決して「教える側」のためにあるのではないと思います。
つまり、主体が「教わる側にある」としたら、それを第一義として考えて「教育=教わり育つ」と捉えるのが筋だと解釈しているわけです。
ただし「教え育てる」だって決して間違いではないと思うので、結局は両方の観点で捉え、両方の観点で視界を広く持つことが大事だと思っています。
いずれにしても、「出来事は一つ、とらえ方はさまざま」ですから、いろんな角度から見て近視眼的な視点に陥らないことが大切だと思います。