
終戦記念日に多くの人が思うのは、かつて多くの人が失ったものの尊さだと思います。
何かを失ったり、何かに失敗したとき、人はつい自分にとってうまくない方向へ意識を向けがちです。
そんなときは、こうしたことを思い出すと良いと思います。
人から教えてもらった話ですが、とても勇気がわく話です。
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A: (電話で)先生、もうダメです。私の人生はもうお先 真っ暗です。私はすべてを失ってしまいました。
先生: まだ視力はありますか?
A: はい、あります(が何か・・・?)
先生: 歩けますか?
A: はい、歩けます(当然でしょう・・・?)
先生: 電話で話しているくらいですから、もちろん耳も聞こえますね。
A: はい、聞こえます(当たり前ですよ・・・)
先生: それは良かった!何もかもまだあるでは ないですか!失ったのはお金(←そのときに応じて言葉を入れ替える)だけですね。
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「絶望的だ!」と思うようなことがあっても、あくまでそれは「◯◯的」かもしれませんが「真の絶望ではない」・・・ということを悟ることが重要です。
「もう絶望的だ!」というのはちょっとそう思ってみただけ・・・自分勝手にそう思い込もうとしていただけ・・・で、事態を冷静に分析してみたらそうではなかった!!!と気づけるかもしれません。
確かのそのときの本人にとってみれば「絶望的」なのですが、少し見方を変えればまだ「絶望」ではない!ということです。
なぜなら、自分は生きている!のですから・・・。
気にし過ぎたり、他人がいつも自分のことを見ていると過剰に反応しているかもしれません。
他人は案外と自分のことなど何とも思っていないものです。
今は確かに苦しいときかもしれませんが、後で冷静に考えられるようになったとき、「追憶の鏡」を覗いて「あのときあれがあったから自分はこういうことを知った、学ぶことができた・・・」ということが必ず何かあるものです。
どんな困難であっても、時間という距離を置いて遠くから眺めてみると何かが見つかるものですね。
それを遠くからではなく、渦中にいるときでも学ぼう、気づこう!と思えばそれができるのが「人間」だと思います。
苦しいときに学んだことは、生きる知恵であり、とても貴重な学びです。
どん底にいればいるほどそれ以上落ちることはないとも言えますから、後は這い上がっていく道だけ・・・だと思って顔を上げて穏やかな表情を浮かべることが大切です。
ムリにでも笑顔をつくれば気持ちも晴れていきます。
そして、実際にそうした試練から這い上がってイバラの道をくぐり抜けたときには、一回りもふた回りも大きな存在となっていますね。
まあ、そうは言っても確かに簡単にできることではないかもしれません。
でも、そう信じることができる人はピンチをチャンスに変えて立ち直ることができる資質を持っている人だと思います。
まずは、この先5分を穏やかに乗り切って、次にまた5分を乗り切っていけば、自然と50分が経ち、5時間が経ち、5日が経ち、5週間が経過していきます。
どんなときも前向きな姿勢だけは失わないで「自分はツイテいる!」「運が良い!」ということを信じ込むことで、目先の5分を乗り切ると良いと思います。