人生は選択の連続ですが、ほとんどの場合、人は無意識化で選択・行動をしているために「自分が選択の連続で生きている」ということに気づきません。
稀に重要な局面だけ立ち止まってよくよく考えるので、後から振り返って「あの時の決断が・・・」と邂逅することはあります。
それなりに「重要な決断」は誰にでもあるものです。
もちろん私にも過去いくつもそんな局面がありました。
たとえば、高校受験という進路選び、大学受験という進路選びもそうです。
大学卒業後に大学院へ進むか、それとも一般企業に就職するか・・・という局面もそうです。
「日本企業で、東京勤務で、営業業務で実績に応じた給料をもらえる会社」という選択をしたときなどは特にそうでした。
会社組織の奴隷になることを一時的に受け入れ、その間の自分自身の修養に役立てる・・・ということを後に考え、理不尽なことにも耐え忍びました。
中長期的な自分なりの人生を歩むために短期的な苦労をあえて選択したわけです。
どんなに偏差値の高い大学を出ても、そこで得た知己を活かしてお金を稼ぐことに注力をしなければ(就職しなかったら)学歴なんてまったく意味のないことだと思いました。
踏ん張って、自分で稼ぐという考え方とスキルを手に入れて、その後何とか自力で生計を立てることを確立することができ、自分にも自信を持てるようになりました。
人生では必ず「決断する時」というのがあります。
気づかないだけであっさりと「決断」しているときもあれば、立ち止まってあれやこれやとさんざん考えあぐねいて「決断」をする場合もあります。
それらは巡り巡って大きく人生を変えていくことにつながります。
大事な局面でしっかりと「決断」しなければ後々に悔み、悶々としてしまう恐れがあります。
大事な判断の物差しとする基準は死ぬ時に自分が後悔しないことだと思います。
だから私の場合はいつ死んでもそれなりに満足できる人生にはっている自負はあります。
あの時、もし別の決断をしていたらどうなっていただろうか?・・・という考え方が浮かばないようにする姿勢は大事だと思います。
いつ死んでも自分は満足できる・・・と自分に言えるように後悔しない生き方を心がけることは大切だと思います。