サラリーマンは「仮に今、会社を辞めて同じ仕事に就いたとき、果たして今と同じような生活をしていけるだろうか?」・・・という問いかけを折に触れてやってみると良いと思います。
答えが「イエス」であれば問題なしですが、答えが「ノー」であれば今現在の自分の処遇はかなり厚遇扱いだと気づけます。
また、そう気づくことが大事です。
そして、「イエス」と言い切れるようになるまで今の仕事で努力を重ねて自己研鑽する意識を持つことが重要です。
場合によっては、配置転換/異動等で職種を変えることも選択肢の一つになりえます。
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エジプト文明など、古代文明では数多くの「奴隷」がいたとされています。
奴隷たちに目標があったかどうかわかりませんが、もし仮にあったとすれば、それは自分が平民になるjことでも貴族になることでもましてや王族になることでもなく、奴隷の中のトップ/奴隷のリーダーになることだった・・・と言われています。
そこには「奴隷の身分のままでその先への発想が乏しかった」という悲しい限界があるようにも思えます。
身体に鞭の跡が残り、アザだらけ、泥と埃だらけになりながらも、ひたすら「人に使われ続けることを選ぶ」という意識止まりで、奴隷であること自体にはひたすら我慢だった・・・と言えそうです。
我慢が我慢だと気づかなくなることは良い面も悪い面もあります。
サラリーマンも、会社の中でいろいろな我慢を強いられて日々働いています。
そうした職場環境で辛い思いをしてるなら、「一生雇われの身で働く」意識が「奴隷という身分のまま」と同じことだと気づき、その意識を早く捨て去ることが大事だと思います。
言い換えれば、早く「一国一城の主になる」「自分が人を雇う側の人間になる」ということです。
奴隷・・・という言葉は好きではありませんが、サラリーマンも自分が奴隷と同じような立場にならないように気をつけるべきだと思います。
資本主義経済社会において人は「雇う側と雇われる側」に分かれるのが定めであり、誰しもそのルールから逃れることはできません。
重要なのは、ルールはそうであってもそのいずれを選択するのか?・・・は(かつての古代文明の奴隷たちと違って)自分で選ぶことができる!・・・ということにとにかく一刻も早く気づき、行動を起こすことにあると思います。