圧倒的な努力はいつか必ず実を結ぶ・・・ということを多くの人は頭で何となく知っています。
他人が足元にも及ばないほどの凄まじい努力というのはやはり裏切らないものです。
圧倒的努力というのは、考え方によってはとても単純だと言えます。
たとえば「人が寝ているときにも寝ないでやり続けること」だったり、「人が休んでいるときも休まない」ことだったり・・・です。
最初はどこから手を付けていいかさっぱりわからないものでも、とりあえず身近なところからまずは手を付け、そしてさまざまな試行錯誤を繰り返しながらも最後までやり通すことが「圧倒的努力」と呼ばれるレベルになります。
自分の目標が達成できないのは自分に原因があるのであって、その主な要因は「努力不足」だと知り、決して他者へその原因を責(もと)めたりはしないほうがベターです。
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他人を責めることは一種の自己優越感を求めるようなもので、それは一時的には優越感を感じられますがあくまでも「一時的」でしかありません。
結局何も事態は好転することなく、かえって落とし穴に嵌まったように物事が悪化していく恐れもあります。
そもそも人は責められると(≒攻められると)反抗したくなるもので、おとなしく従うよりはどこかに矛盾点や逃げ道を見つけて反論・反抗してくるものです。
他人を責め立てると相手もこちらに向かってくるわけです。
売り言葉に買い言葉ではありませんが、それと同じようなことです。
「だいたいあなたがこんなふうだから・・・」と、かえって自分のほうに非を責(もと)めることを仕掛けてきたりします。
人を責める前に、立ち止まって己自身を省みる・・・という姿勢は大切だと思います。
仕事でもプライベートでも家族内でも大切です。(とくに家族間かな?!)
実現したかった何かを実現できなかったとき、自己防衛の本能で自分を守るために「自分は悪くない/他人が悪い」という発想をしがちな人が多いですが、これを常態化・習慣化させてはいけません。
人を責めるのは落とし穴にはまるようなもので事態はさらに悪化する!・・・と強く認識しておくことが大事です。
どこか自分にも非があるのだと心得て、どんな些細なことでもいいから自分のいけなかったところを見つける努力をすると良いと思います。
夫婦間でこれができないとケンカが絶えない夫婦となり、いずれ破局・離婚となります。
自分を低くすることが、かえって高みに立つことに通じます。
何かを成し遂げたければ、まずは圧倒的な努力をもって実現を目指し、そして他人を責める前に己を省みるように意識を向けることは本当に大切だと思います。