ある人には興味関心の高いことでも、別の人にとってはまったく興味関心のないことだったりします。
世の中、そうした事例は山ほどあります。
たとえば、車の運転に興味関心がない人にとって「自動車教習所」という場所はまったく無縁のところですが、運転に興味関心がある人には必ず通らなければいけない場所です。
ところが、教習所に通って無事に運転免許を取得できると、その先はもう教習所に対する興味関心はありません。
1週間もすればすっかり忘れています。
運転免許を取ってしまえば教習所への関心はなくなり、したがって愛情も何も生まれないのが一般的です。
教習所とは単に「運転技術と道路交通知識を身につけるだけの場所」であり、「運転免許を取得するためにイヤイヤながらも通わなくてはいけない場所」に過ぎないからです。
つまり、ほとんどの人にとってはたんなる「通過点」に過ぎません。
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「通過点」というのは、人に愛情を持たせることをしにくいものです。
かつて、マザーテレサは「愛情の反対は無関心」という言い方をしましたが、通過点にある存在や場所においてはなかなか愛情を持つことができず、したがって人は無関心になりがちです。
会社組織において、上司と部下の関係もタダの通過点に過ぎない関係だと、そこには愛情がなくしたがって無関心の関係になってしまいます。
無関心になるのは、上司が部下を自分の言うことを聞くロボットのような扱いをしていたり、互いに人間として尊重する意思が弱いときに起こります。
上司と部下との関係がドライなものになっていて、情緒的なつながりが薄い場合です。
もっと広く言うと、社員と会社の関係も同じです。
会社が単なる「お金稼ぎの場」だと社員が認識しているようなら、愛情が湧くことはなく無関心になります。
社員の心の中に「会社への愛着」が育つような人事マネジメントを行うことが求められます。
よく使われる手が福利厚生に力を入れる・・・というやり方です。
愛情の反対は無関心・・・自分を取り巻く人間関係が果たして自分に無関心状態に陥っていないかどうか?・・・を探ってみることも大事なことだと思います。