人は「貧しいと欲が出る」わけではなく、「他人が持っているモノを欲しいと思うと欲が出る」ものです。
他人が持っていても自分が既に持っていて特段「欲しい!」と思わなければ欲は出ませんし、自分が既に持っていてもさらに「欲しい!」と思うのならその段階で「欲が出た」状態になります。
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戦時下では、「欲しがりません勝つまでは!」という言葉を広めることで人が欲をかくことを抑え込もうとする動きがありました。
逆に、戦後においてはそうしたモノに対する執念を強く持つことで日本という国は復興してきたと思います。
背景には「過去の自分が持っていたモノ」や「外国の人が持ってるモノ」への憧れや執着心もあったと思います。
戦争下でモノを欲しがることがご法度とされたがゆえにその欲望は戦後は余計に強くなり、復興期においてどんどんモノが製造・消費されて豊かな国になってきたのだと思います。
私が子どもの頃はモノを大切にする躾・教育が徹底して行なわれ、たとえば学校から配布された(一部自分で購入した)教科書や道具箱や上履きやクレヨン一本一本にまで必ず名前を書いて紛失しないよう/なくしても自分の手元に戻ってくるようにしたものです。
もったいない使い方(=使い捨て)なんてもっての外でとんでもない悪いこととされ、そうした発想自体がナンセンスとして育てられました。
自分のモノを増やし、それを守り続けていくことが美徳だとされ、実際、節約などで自分の資産が貯まっていく(増えていく)という時代もありました。
ところが、最近の主流は「モノを持たない/共有する」という流れです。
企業においてもなるべくモノを持たないことが良いとされるようになってきた感があります。
ここで言う「モノ」には「商品の在庫を持たない」という営業姿勢のことから、オフィスを持たない(借りる)、机を置かない、コピー機を所有しない(リースでまかなう)、社員を持たない(派遣でまかなう)といった経費削減のことまで含まれています。
家庭内においても「ミニマム的生き方」などがもてはやされ、なるべく家の中にモノを置かないことが美徳という認識も広がっています。
もちろん、会社・人によって価値観はさまざまですからモノを持ちたがる/欲しがるパターンの例もあると思いますが、「所有する」から「所有しないで済ませるにはどうすればよいか?」という視点での物事のとらえ方は従前以上に大事になってきたと思います。
ビジネスでも家計においても、所有と非所有の観点で眺めると、これまで気が付かなかったことに気づけるかもしれないですね。