どの国で暮らしていても、自分が暮らしている地域・国で起きることが自分にとっての当たり前で、それが常識だとつい考えてしまうものです。
日本に住んでいれば、当然日本の暮らしぶりが自分の中で「常識化」されていきます。
都会暮らしと地方暮らしでもその差は出ます。
例えば、東京では電車がほぼ時刻表通りに来ますからそれが当たり前で常識になりがちですが、これは海外に行くとまったくもって当たり前ではありません。
そもそも時刻表自体が無いところもありますし、あってもまったくその通りにはならないことのほうが普通だったりします。
昔の人はこうしたことにサッサと慣れることが大事だということも含めて「郷に入れば郷に従え」と言いました。
よく日本の常識は海外の非常識/海外の常識は日本の非常識・・・などと揶揄されたりしますが、本当に国や地域によって慣習・文化は異なるものです。
だからこそ、世界を知る人は柔軟な頭を持っていて、自分の価値観が常に正しいと言うことはない・・・と悟っています。
逆に、世界を知らない/自分が暮らしている地域を出たことがないような人の中には了見が狭く頭が固い人(頑固)が多く見受けられ、固定観念/先入観にとらわれています。
若いときにこそ「こんな国もあるんだ/日本のほうが珍しいんだな/いやあ知らなかったなぁ」と、日本以外の国で起こることを実体験で見聞きすると良いと思います。
歳老いてから初めてそうしたことを体験したら、そのときの反応は「あり得ない!何てことだ!非常識で許せない!」と怒りの感情が湧きやすくなります。
若い人はギャップ(違い)を受け入れることができます。
その結果、その人のキャパが広がります。
ところが歳をとってくるとそのことを受け入れられないがためにキャパを広げられません。
キャパを広げられないということは自分の中の「常識/当たり前の幅や器」を広げられないことと同義です。
多様性を持てる/持てないと言っても良いでしょう。
この世に当たり前のことなんてないのだ、当たり前だと考えること自体が思考の偏りなのだ・・・ということを悟るくらいの経験を早い段階でしておくと、その後の人生はけっこう柔軟に生きていきやすくなり、そのおかげでハッピーに暮らせる可能性が高くなると思います。