投資では、最初から自分に責任があると覚悟・理解できる人が勝者になり得ます。
「将来は国がなんとかしてくれる」と考えて国に責任転嫁してしまう人は投資でも人生でも敗者になります。
国や会社に人生を依存した生活をしている人は他人が敷いたレールの上を歩いているだけ・・・で、自分の人生の手綱を自分で握っていないと言えます。
面白みやワクワク感がない生き方を選んでいると思います。
「自分の人生の手綱を自分で握っていない」のは「人生を雑に生きている」のとほぼ同義です。
近年はそれが幻だと気付いた若者が増え、早くから投資をしたり副業を始めたり、FIREを意識したりする人が増えたのは良い傾向と言えるかもしれません。
人生を雑に生きる人は「挑戦しない/挑戦を避ける/リスクを極端に敬遠する」という傾向があります。
また、そういう人は「雑に生きる」がために普段の生活や仕事でも「物も大切にしない」というクセがあり、ドアをバタン!と大きな音を立てて閉めたり、コップをドン!と置くことを平然と行ないます。
そうした行為はみっともない/しちゃいけない/恥ずべきことだ・・・といった教育を私は幼少のころから受けて育ってきたので、そうした人たちとは極力交わらないように意識してきました。
「人生を雑に生きる」人はすぐに他人に頼るクセがあり、なんでも他人に求めて自分の問題をいかにして自分以外の人に無償で解決してもらうか、保証してくれるかに強く関心を抱いています。
ところが、そうやって保証を求めると人は弱くなります。
人生には保証されたものは何もありません。
安定や権利ばかりを主張することは自分を弱くする行為だと自覚している人は稀有かもしれません。
政治の世界でもよくそうしたことを主張する政治家がいますが、私はどうしても違和感を感じてしまいます。
権利を主張するなら義務を果たさなければいけません。
人は、失敗を乗り越えるたびに精神が成長します。
若い人には、痛みを伴う失敗を経験する覚悟を肝に据えて行動するくらいの勇気がほしいところです。
期待するのはコントロール可能な自分のみで、コントロール不能なものに意思を向けると余計なストレスが生まれると知ることも大切です。
人生を雑に生きず、しっかりと地に足をつけて、手綱を自分の手で握り、コントロールできることとできないことの境界線を引いて生きていくことは大事だと思います。