
「黒い猫でも白い猫でも、鼠を捕るのが良い猫だ」
by 中国・鄧小平
彼が言いたいのは、「鼠(ネズミ)を捕る」という本質をしっかり貫いていれば猫の毛色なんかどうでもいい・・・ということだと思います。
ある意味では正論です。
ビジネスでもこれと似たようなところがあって、「結果がすべて」という言葉でよく言い表されます。
結果さえ出せば途中のプロセスはどうでもいい・・・というわけですが、ある意味では正解で、ある意味では行き過ぎ(不正解)です。
この言葉をあまりに重宝すると社内で不正が蔓延します。
上場企業でも経営陣が「結果だけを求めすぎ」たばかりに、社員たちがプロセスを無視して不正・不法行為・犯罪に手を染めてでもトップの気を惹こうと躍起になったりする例がよくあります(最近だとニデック株式会社など)。
そうなると「正解」とは言えず、明らかに「不正解」です。
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国民の三大義務として有名なのは
1.教育の義務(憲法26条)
2.勤労の義務(憲法27条)
3.納税の義務(憲法30条)
ですが、「教育 → 勤労 → 納税」という順番に記されているところが何とも妙なところです。
少し穿った解釈をすれば、「しっかり勉強して、その後は就職して、ちゃんと税金を納めなさい」ということです。
言っていること自体は間違っていません。
でも、この前提が「サラリーマンとして普通に働いて納税を怠らないように」ということを意味しているとしたら、ある種の洗脳にも近いものが隠されている気がします。
国としては、要は、「税金を取りたい」わけで、それには「サラリーマンとして働いてくれる」のが一番とりやすく、そのため「サラリーマンとして働くのが当たり前だ/普通だ」という教育を施すのが有効となります。
でも、キチンと税金さえ納めるなら(税金徴収が本質にあるとすれば)、何もサラリーマンとして働かなくても方法はいろいろあるわけで、自営業でも投資家でもいいわけです。
鄧小平流に言うなら「サラリーマンでも公務員でも政治家でも経営者でも、税金をキチンと納める者が良い国民だ」・・・です。
多くの人の「普通」は「雇われることに疑問を抱かないように教育された人」の普通かもしれません。
そこに隠された「政治的意図の教育」の影響に疑問を持たず、一生涯をサラリーマンとして閉じてしまうのはちょっともったいない気がします。
税金を納めるという本質さえ押さえておき、自身はもっと自由に働く(働かなくても良い)という生き方を「普通」と捉える生き方もあると思います。
どちらの普通が良いかは人それぞれですが、私は後者のほうを選び、自分の頭で考え、自分の意思で自由に行動することを選びましたし、それで良かったと思っています。
























