人から貧乏に見られたくないとか、人より貧しい生活をしたくないといったように「発想基準が他人」になるのはあまりうまくないと思います。
それは一種の「見栄」であり、自分の慢心が引き起こすワナだと思います。
どんな人も他人と比べさえしなければ、質素な生活でも受け入れられます。
仕方ない・・・と割り切ったり、これで当然だ・・・と疑問を持たをずに生活できます。
ところが、「他人と比べる」とそれは一気に嫉妬と劣等感の塊(かたまり)になって人を不安と恐怖に陥れます。
本来は質素な生活でも平気なハズなのですが、これだけマスコミやSNSなど情報が氾濫していると、なかなか「他人と比較しない」ことのほうが難しい世の中なのかもしれません。
でも、本来は「見栄」さえ張らなければ贅沢をすることもなく、贅沢をしなければ貧乏に陥ることもない・・・ということに気づくことが大切です。
ヘンな言い方ですが、人はみんな一度は「貧乏」を経験してみると良いかもしれません。
本当に貧乏になる必要はなく、自分で疑似体験をしてみたら良いと思います。
お金があっても、あえてお金使おうとせず、そのお金がないことを前提に生きてみるわけです。
すると、それは貧乏ではなく「質素」という言葉に置き換わっていくことにどこかで気づき、そして「質素は別に恥ではない」というとても重要なことに気づけます。
貧乏が恥ずかしいのは、ある意味では「本当に貧乏だから」・・・という場合かもしれません。
本当は貧乏ではない、という自負さえあれば、いくら人に馬鹿にされても、可哀想な目で見られても、何とも思いません。
本当は貧乏ではないよ~という矜持を持つことは大事だと思います。
質素な生活をして、欲しい物ではなく必要な物だけを買い、モノは大切に扱い、密かにお金を貯め、その貯めたお金で「お金を生む資産を買う」・・・というパターンで生きてみるのも面白いと思います。