東洋の古の訓えの中に、「日計して足らざるも、歳計して余りあり」という言葉があります。
これは、とある若者が北の岩石のデコボコした山に住まいを構えたとき、最初は頭のおかしい人だと皆が言っていたのが、3年ほど経ちそのデコボコした山に農作物があふれ豊作に恵まれるようになると、みんなが「我々凡人が目先の一日一日で見ているとダメだと思っていたことが1年・・・3年という目で見ればちゃんとうまくいっている。
何ということだろう。
あの人はきっと聖人に違いない、君主として尊ぼう」と言った・・・という話からきています。
「一日一日で勘定すると足りてない(赤字)ように見えることでも、結果の集計を見れば余りがある(黒字)状態になっている」という不思議さを言い表した言葉です。
勝負の世界には「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」と言われますが、これと似たようなことだと思います。
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人はみな「お金」を求めます。
お金があると生きていくのが便利でラクだからです。
でも、だからと言って「目先のお金」だけを追い求める姿勢だとなかなかお金は自分の懐に入ってきません。
むしろ、お金以外のことを追っていくうちにお金が後から入ってくる・・・ということがよくあります。
「前にあるお金を追い求めてはいけない。お金は自分の後ろからゆっくりついてくるものだから・・・」という精神が大切です。
眼の前にあるお金を血眼(ちまなこ)になって拾い集めようとしてはいけないと思います。
お金を拾い集めることだけに躍起になっていると、ただ忙(せわ)しなくバタバタするだけです。
目の前にあるお金を追い求めるのではなく、たとえ目先の一日一日が赤字になった(見えた)としても、そのあとにトータルで黒字になっていれば良い・・・という発想で日々を過ごすと気がラクになると思います。
その単位は「1年~5年」くらいの目安をもち、さらに言うと「人生の最後に黒字」であればそれで良し・・・なのかもしれません。
生きてて良かった!と満面の笑みのままで人生の幕を閉じることができれば幸いだと思います。
「自分の人生は黒字だった」と喜べるような生き様を残したいものですね。