数年前から「ふるさと納税」をしてフルーツなどの返礼品を受け取っています。
先月はサクランボや桃が送られてきましたが、今月はパッションフルーツが送られてくる予定で楽しみにしています。
この「ふるさと納税」というのは、名称は「納税」なのですが実体は「寄付」といったほうが正しく、要は「自分の住民票がある地方自治体以外の地方自治体にお金を寄付する」という行為です。
そのお礼として自治体から返礼品が送られてくる・・・翌年の住民税の計算で控除される金額がある・・・というところが単なる寄付とは違います。
自分の住民票がある自治体にはふるさと納税の手を使うことはできませんし、結局、納税とはほぼ無関係で「寄付」といったほうがしっくりきます。
どうしてこんなややこしい名称にするのかわかりませんが、日本ではこうした事例がよく存在しています。
きっと官僚がわざとややこしくして国民を煙に巻こうとしているのだと思います。
表面上の言葉と実態が伴わないというのはビジネスであれば糾弾ものなのですが、国の制度ではお咎めなし・・・ですね。
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欧米では昔から寄付の概念が広く浸透していて、いわゆる普通の人たち(庶民)であっても寄付をすることは一般的なこととされています。
チップの概念も手伝っていると思いますが、他者に自分のお金をあげる(分けてあげる/シェアする)という文化があるからだと思います。
また、そうした寄付文化が根付いた理由の一つは、次のことからヒントを得ることができると思います。
→ 人は「ある」ことに気づくと喜びを感じ、「ない」ことに意識が向くと怖れを感じる生き物である
つまり、「(自分には)お金がある」と気づけると人は喜びを感じられるわけで、まさに寄付行為というのは「自分にはお金がある(あるから寄付ができる)」と自分に気づかせてくれる行為なわけです。
だから寄付をすることで喜びを感じる・・・と。
お金を寄付することは、今自分は寄付できるだけのお金を持っている・・・と気づかせてくれる行為であり、それによって自分は喜びを感じる・・・ということです。
少し回りくどい言い方になりましたが、一度寄付をすると何か妙な感慨に浸ることができると思います。
それが次の寄付行為を呼び起こします。
お金をいくら持っていても、お金が無くなることが怖い人は寄付できません。
1億円持っていても人にお金を与える気持ちを持っていない人は、結局常にお金が無くなることを恐れている人です。
自分のお金ですから、自分に利得のないことにお金を使うことは「お金を捨てるのと同じ」だという感覚に囚われるのかもしれません。
持っているお金の額が多いか少ないかではなく、自分は他人に与えることができるお金を持っているかどうか?が大事なところです。
だからたとえ千円しか持っていなくても、人に与える心の余裕がある人は「お金を持っている」という認識でそれを他人と分かち合うことに喜びを見出せる人です。
欧米では、お金持ちになる秘訣はこの寄付行為にある・・・とさえ言われていてます。
「ある」ことに意識が向いている人は豊かで、幸せです。
無いモノに目を向けるのではなく、あるモノ(多いか少ないかは関係なく)に目を向ける・・・という発想は重要です。
高額宝くじに当たった人の8割の人が不幸になる・・・といわれるのは、お金を持つ器ができていないのに器に入りきれないお金を急に得てしまったので、以降はそのお金を失う恐怖に心が潰れてしまうから・・・だとも言われます。
たとえ10円でも良いので「寄付」をして自分の心を清め、「この10円で誰かが幸せになりますように・・・」と願い、そんな寄付をすることができる自分に感謝する気持ちを持つと、人生は好転していくと思います。