
イソップ童話に『木こりと旅人』というこんな話があります。
ある旅人が森の中を歩いていると、汗だくになりながら一心不乱に木を伐っている木こりの姿があった。
木こりは息を切らし、重たい斧を何度も振り下ろしていたが、木はなかなか倒れる気配がない。
旅人がそのまま先を進み、夕方になって同じ道を戻ってくると、驚いたことにその木こりは朝とまったく同じ場所で同じ木を相手に必死に斧を振り続けていた。
そんなにも長い時間が経ったハズなのに作業はほとんど進んでいないようだった。
不思議に思った旅人が足を止めた。
よくよく観察してみると、木こりが使っている斧の刃は欠け、丸くなり、見るからに切れ味を失っていた。
旅人は思い切って木こりに声をかけた。
「木こりさん、精がでますね。でも、あまり作業は進んでないみたいですね。一旦手を止めて斧の刃を研いだらどうですか?」
すると木こりは斧を握ったまま首を振り、こう答えた。
「刃を研ぐ時間なんて俺には無いんだよ、木を伐るのが忙しいから・・・。」
この寓話は現代の多くの人の姿を投影しているかもしれません。
目の前の仕事に追われ、休憩をとることもなく働き続け、休日も出勤したりサービス残業も厭わない・・・。
「忙しい、忙しい」と言いながら、ボロボロの刃で木を叩き続けている木こりのようです。
もしこの木こりが小一時間だけでも手を止めて斧を研いでいたら、その先の結果は大きく違うモノになっていたと思われます。
錆びた斧を一日中振るよりもはるかに多くの木を伐ることができた・・・ハズ。
急がばまわれ!・・・です。
現代社会では斧どころかボタン一つで巨木を切り倒す道具が発明されています。
そうした環境の変化に目を向けようともせず、「今の仕事が忙しくてそれどころじゃない」「忙しくてそんなことをやっているヒマはない」などと現状維持を貫いているとますます時代の変化から取り残されます。
「忙しいから学べない」のではなく、「学ばないからいつまでも忙しい」と理解するほうが当たりだと思います。
確かに、目先の休憩や手を止めることには一種の怖さが伴うものです。
でも、短期目線しか持たず、中長期目線を捨ててしまうことのほうが長い人生では損ですし恐れるべきことだと思います。
長い人生の中では何度も「斧を研ぐ(刃を研ぐ)」べき機会(いわゆる充電期間)が訪れると理解し、今がそのタイミングかもしれない・・・と気づくことも大切だと思います。
























