子どもは、親から「玄関では靴の向きを変えて家に入りなさい」とか「トイレの蓋は閉めなさい」と何回言われてもできないことがあります。
親から「ホントにあなたは学習しないね~」とあきられてしまいます。
サラリーマンが、上司から「君は何回言えばわかるんだ!」と叱責されるのも、これと似たようなものです。
人は、それくらい「学習していそうでしていない」動物です。
「学習した」と「学習した感」は別物です。
学習したつもりになって、実は「学習した感」止まりになっていてはいけないですね。
・・・・・・・・・・・・・
成果を出すためには、結論として「学習した」という経験と実績が必要です。
「学習したつもり(学習した感)」止まりで終わらせていたら、これはタダの自己満足に過ぎません。
受験生が机に向かって5時間勉強したとしても、そこで知識を吸収し、考える力を発揮できるようになっていないとその5時間は無意味なものになります。
うまくないのは「5時間勉強したぞ~」と言って「勉強した感」に浸って満足するところで止まっている状態です。
大事なのは「テストで良い点数をとる」ことであって、それは「〇時間勉強した/していない」とは基本的に別概念です。
サラリーマンでも、重要なのは仕事で結果を出すことであって、「〇時間仕事をした/残業をした」ことではありません。
「時間をかけて自分にとって苦痛なことをやった」・・・ということが、そのまま何かをやり遂げたことだと錯覚してしまうのは、勉強・仕事のデキない人の典型的なパターンです。
このワナに嵌まってはいけないと思います。
大事なのは結果・成果であって、決して自分が何時間それに費やしたか?ではありません。
成果・結果が出れば30分であっても充分ですし、逆にたとえ10時間かけても成果・結果がゼロならまだまだ不足状態です。
言い換えれば、重要なのは「デキるまでやり続けること」、「成果・結果がでるまでやること」です。
学習することが大事であって、学習した感止まりで満足してはいけないということです。
学生時代にこの哲学を身につけてきた人はビジネスマンになっていけますが、受験勉強だけをしてこの哲学を身につけてこなかった人は、大人になるとタダのサラリーマン止まりで終わるかもしれません。
でも、大人になって考えを改めれば、そこから新たな成長が始まっていくと思います。