子どもは「頑張ったらご褒美が欲しい」と思うものですが、その原因は主に親がそういう躾をしているからかもしれません。
家のお手伝いでも・・・学校の勉強でも・・・近所へのお使いでも・・・子どもが自ら率先して何かをしているのではなく、半ば親の言いつけによってそれを行なっているうちは「頑張ったらご褒美をあげるよ/もらえる」という図式が出来上がっているからそうなっているような気がします。
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大人になって、自分で自分に「頑張ったらご褒美あげる」を前提に何かに注力することは決して悪くないと思います。
人間誰しも「ニンジンをぶら下げる」ことは強い行動動機になります。
ただ、第三者の人が「あの人はあんなに頑張ったのに何ももらえないなんて・・・」と他人のご褒美ナシを嘆くのはちょっと危険です。
頑張ったのにうまくいかず可哀そうだ・・・という憐みの発想は、「頑張ったらご褒美がもらええるものだ/もらえて当然だ」というサラリーマン的発想の裏返しです。
「ご褒美をもらえる」という考え方そのものがビジネスマンではなくサラリーマンの発想であり、人に使われる(雇われる)人の発想だと言えそうです。
経営者やビジネスマンは「頑張ったのに・・・」という考え方はしません。
ビジネスにおいては「結果がすべて」を重視していないと生き残れないからです。
頑張ろうと頑張らなかろうと「得られた結果」に対して正当なご褒美(報酬)を求めるのが経営者/ビジネスマンの発想であり習性です。
結果ではなく、費やした時間や労力に対してご褒美を期待する姿勢は、無意識のうちに「ご褒美をくれる誰か(≒会社や上司など)を想定」してしまっています。
経営者資質の持ち主にはそれがありません。
経営者には「働いた時間に対してご褒美をくれる誰か」なんていません。
株主が要求するのは「結果(業績)」であって、経営者が何時間労働したか?・・・なんて一向に気にしません。
ご褒美を期待することがいけないのではなく、何に対してご褒美を期待するか?が大事なところです。
コロナ禍においてはますますこうした「脱・サラリーマン発想」の姿勢が大切になっていくように思えます。