
投資も運用も「何か(←主にお金)を増やす/膨らますことを狙って行なう行為」ですが、両者には少しだけ違う点があります。
投資は、そこで投じる資本(元本)と得られる利益とが必ずしも同じモノ(類)とは限りません。
一方、運用はそこで投じる資本(元本)と得られる運用益とは同じモノです。
たとえば、企業では設備投資として大規模な工場を建設したりしますが、この「投資」によって得られるものは「別の工場(←投じた資本と同じモノ)」ではなくあくまでも「金銭的なもの(←投じた資本とは別モノ)」です。
ところが、運用の場合は「金銭を運用して同じく金銭を得る」ことになり、すなわち「運用したモノと得られるモノは同じ」ということになります。
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人は、幼いころから運用ではなくさまざまな「投資」とともに生きてきています。
それは自分が自ら行なった場合もあれば親などから施されてきた場合もあります。
言えるのは、人は投資をしながら、それをさまざまな形に変えたりもしながら回収して生きている・・・ということです。
投資した分だけ・・・いやそれ以上の価値のあるモノを、時間をかけて(←ここが重要な点です)回収して人は生きています。
投じたお金を回収できたならお金は減っていないことになります。
それは誰でもわかることですが、投じたモノと同じでない場合はその概念がややわかりづらくなって自分が「投資+回収」という行為を行なっていることに気づかなくなります。
「回収するまでには時間が必要」で、この時間が長くなればなるほど回収できる果実も大きくなりますが、そのタイムラグに多くの人は気づかないためにこうした意識が希薄になってしまうのだと思います。
子どもが学習塾に通うのも将来まともな学校に進学して、その後まともな就職をして、生活に困らないお金を稼ぎ、それなりの人と結婚して、死ぬまで裕福に暮らしていくための一種の先行投資だと言えます。
就職して専門資格を取得する勉強をするのも、その資格が単にほしいわけではなくその資格を持つことで得られる収入が欲しいわけです。
金銭的投資であれ、設備投資であれ、知識的投資であれ、いずれにしても「投じた資本は形を変えてでも回収する」という意識をしっかり持って日々を生きることが大事だと思います。
この意識を持って生きるのと、何も考えずに生きるのとでは効果も効能も大きな差がつきます。
「投じたお金を回収すればお金は原則として減らない(←原則としたのはインフレの場合価値が低下するので)」ということを踏まえて、運用よりは投資を重んじる意識で毎日を過ごしていくと少しづつ何かが変わっていくと思います。