人生で唯一と言っても良い必ず起こる「死」。
「死は忌み嫌うべきもの」・・・という刷り込みが幼い頃からされてきたせいか、人は普段なかなか死を意識することは少ないと思います。
まだ自分の身に起り得るリスクが低く、実感を覚えにくいこともそうさせる要因の一つかもしれません。
たとえ身の周りの人が亡くなる事があっても、それでも不思議とまだ自分事(もしかしたら次は自分の番)として捉えることはせず、どこか他人事のように感じてしまうのが一般的のようです。
私は15年前に妻を亡くし、3年前に実母を亡くし、2か月前に実父を亡くしました。
それまで言葉を発して会話をしていた人がある日を境にもうそれができなくなる・・・顔を見ることも触れることもできなくなる・・・というのは何とも例えようのない不憫さを感じさせます。
私自身のこともとっくの昔から考えています。
いつ自分が死を迎えるかは誰にもわかりませんが、いつその日を迎えたとしても悔いのないように生き、後に残された人に迷惑をかけず、そっと去っていきたいと思って生きています。
真の意味で死に対する覚悟があるか?・・・と聞かれれば、まだそこまでの覚悟は乏しいかもしれませんが、少なくとも「意識」だけは持っています。
自分はあと何年生きられるか?
自分にもしもの事があった時、家族は困らないか?
・・・などと考えてみることは大切です。
家族が困るのは特に「経済面」においてです。
日々の生活をしのぐお金が無かったら困りますし、子どもがまだ義務教育の年齢だとしたらその養育費、教育費はどうやって捻出するか?という問題が発生します。
貯蓄や保険や収入源を確保できていればまだしも、それらが不十分だとしたら残された家族が苦労します。
そうした準備をしておくところに自分自身の矜持(きょうじ)と責任がありますし、一家の大黒柱としての役割の一端があると思います。
家族を幸せにする意識を持つことは重要です。
普段どんなに優しいお父さんであっても何の準備もしないで家族に苦労や迷惑を残すようではあまり良いお父さんとは言えません。
大黒柱の役割と責任として、残された家族に金銭面・経済的な苦労をかけさせない・・・という意識を持つことは大事だと思います。
まだまだ時間はあります。
じっくり勉強して、稼ぐために必要な基礎的な経験を積み、極端なことを言うと今年の収益なんか無視してこの先10年、20年の人生のためにライフプランとマネープランを再構築して自分にできることを本気でやっていくと良いと思います。