子どもは正直です。
おかずが美味しかったらご飯もたくさん食べます。
おかずが不味かったら残そうとします。
子どもにたくさん食事をとらせたかったら、子どもにおべっかを使うことは必要なく、「おかわり!」となるように子どもが好きな食事/美味しいと思える食事を作るだけのことです。
これが大人になるといろんな社会的配慮や気遣いが働くため、子どもと同じようにはいきません。
社会は子どもで成り立っているというよりは大人で成り立っているモノですから、そうした「感情を直接出さない/相手に配慮する」生き物だという認識のもとで複雑に事象が絡み合って構成されています。
良いも悪いもなく、社会というのはそういうものだ・・・と知ることが大事です。
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物事には「原因と結果」があり、これは子ども社会のように他の感情が介入する隙間がほとんどない関係性で成り立っています。
「原因」があれば「結果」がありますが、ただしその距離が近ければ関係性がすぐにわかりますが、その距離が遠いとなかなか関係性に気づくことは難しいかもしれません。
結果から目を背け、原因を解明しようとせず、単に「やったこと/やった量」だけ見るのは残念な人です。
大人社会は「結果がすべて」と言われるように、どんなに頑張ってやったとしても求められた結果を導き出せなければ評価は低くなります(あの人はダメな人だ・・・と)。
量と結果は比例せず、言えるのは「結果に必要なことをやったら結果になる」・・・だけのことです。
残酷なことですが、これが大人社会/現実社会です。
サラリーマンは大人社会に生きる(働く)人の集団構成員ですから、こうした当たり前の構図を頭に入れ、その枠内に在籍していることをゆめゆめ忘れてはいけないと思います。