子どものころ、「この子は天才だわ~」と言われて気分が良くなっていた人は多いと思います。
多くの大人は、子どもがなにかをやって、それがすぐにうまくいくと「天才だ!」と盛んに褒めちぎって持ち上げようとします。
これはあながち間違っていないと思います。
天才とは「瞬時に結果にたどり着く能力」と言い換えることができるからです。
もっと言うと、天才という能力は「プロセス(段取り)をすっ飛ばせる」ことに他なりません。
他の人が何回も(何時間も)かかってやっとできるようなことをほんの1回で(もしくは数回で)それを成し遂げてしまうとき、人は「天才呼ばわり」します。
「遅れて走ったのに他人より早い/いきなり歌って音程を外さずにキチンと歌える/いきなりバットを振って長打を打ってしまう」・・・といった類です。
普通の人が一歩一歩進んで行くのに、その途中の多くの過程をすっ飛ばしていきなりゴールまで行ってしまうのが天才です。
ただし、そうしたことができる能力を持つがゆえに「凡才のコツコツと努力すること」が理解・消化できません。
それが天才の弱点であり、まさに「長所は同時に短所になる」わけです。
「段取りを飛ばせる」がゆえに「段取りを認識できず、認識できないから改良することが苦手」となります。
凡才には天才ほど途中をすっ飛ばして結果に行き着く能力はありませんが、その途中過程を知るがゆえに改良や工夫をする楽しさを味わうことができます。
天才にしか見えない世界があるように、凡才は天才には見えない世界を見ることができます。
また、ある分野では天才的な力を発揮する人であっても別の分野では凡才に過ぎない・・・といったことはよくある話です。
皮肉なことに、人生ではそうした凡才の領域を生きるほうが長くなります。
天才が通用する時期・賞味期限は人生全体の中では短い・・・というわけです。
子どものころ天才と持ちはやされた人も大人になればタダの人・・・という例は多いものです。
ただし、そうした凡才のままで生きていくことは別に恥ではありません。
凡才は凡事徹底で勤勉に真面目に誠実に生きていく姿勢を持ってさえいれば何も怖くないと思います。