
サラリーマンは無意識のうちに「定年退職日まで働くことが当たり前」という思いで働いていると思います。
これを常識ととらえるか、はたまた常識ではなく個人の価値観ととらえるか?
私は後者のほうでした。
悪く言えば「天邪鬼(あまのじゃく)」かもしれませんが、この発想を持った時から自分の中での働き方改革が始まったように思えます。
定年退職の日まで身を粉にして働くことが悪いわけではありません。
でも、それだとせっかくのたった一度限りの人生がもったいないことになる気がしたわけです。
なぜなら50代~60代というのは子育てもだいたい区切りがついて、また社会経験もある程度豊富になって世の中のいろんなことが分かっていて、身体もまだ自由に動かせられる年代であり、この時期に自分の好きなように生きられないのはもったいないと思ったからです。
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定年後、いざ何かをやろうとしたときに、「健康に不安がある/思うように身体が動かない/お金が無い/一緒にやってくれる人がいない/そもそも何をやりたいのか自分でもよくわかっていない」・・・と気づき、それらの主な原因が現役時代に働き過ぎたことにあった(働きすぎて逆に失ったモノが多かった)・・・と嘆く人が意外と多くいると聞きました。
自分の人生を生きず、他人の人生を(カン違いして)生きている・・・といった人は案外と多いと思われます。
その結果、どこかで後悔の念が湧いてきます。
お金というのはゴールではなくタダの道具ですし、働くというのはお金稼ぎだけが目的ではありません。
道具をいくらたくさん手に入れても、それで幸せになることはありません。
この道具を使って何をやるか?・・・ということが大事で、やりたいこと以上の道具を手に入れても意味がありませんし、そのために時間を消費するのは浪費(ムダなこと)です。
→ そうした人たちが抱く後悔の代表例が「もっと大切な人と過ごす時間を取れば良かった」です。
家族を持っている人は優先順位のトップに置く必要があるくらい大事なことだと思います。
このことを忘れて生きてしまうと、定年退職後に家庭内不和が顕在化したりします。
そうなってしまった理由もまた、仕事に振り回されたからかもしれません。
現役時代に一生懸命に働くことは良いことだと思いますが、その「働く意義(何のために働くのか?)」を忘れて、後々に「働きすぎなければよかった・・・」という後悔につながることのないようにしたいものですね。