強姦致傷容疑で逮捕された高畑裕太容疑者(22)に関して、母で女優の高畑淳子(61)さんが謝罪会見を行ったのは記憶に新しいですが、芸能界ではこうやって子どもが起こした不祥事に対して親が責任を取る・・・ということがありがちです。
もちろん責任を取らない親芸能人もいると思いますし、「事件を起こした子どもが芸能人で親は芸能人でない」というパターンもあります。
いつも思うのは、そうした時の線引き・・・
つまり親が責任を被るのはどこまでが適切なのか?
・・・ということです。
また、今回の例とは逆に芸能人の親が事件を起こすケースだってありますから、そうしたとき芸能人である子どものほうはどこまで責任を負うのか?・・・という疑問もあります。
いろんな意見があると思いますが、私は親子が芸能人と呼ばれる人であるかどうかに関係なく、こんなふうに思っています。
1.家計を一にしているなら互いに責任を負う(強)
→「家計を一にしている」というのは、社会保険上の扶養関係になっているかどうか、で判断
2.住民票が同じであれば互いに責任を負う(中)
→扶養関係になっていなくても住民票が同じであれば責任は生じる
3.本籍が同じであれば互いに責任を負う(弱)
→住民票は別であっても本籍が同じであれば何らかの責任を負う
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企業内でも、社員の不祥事は起きてしまうものです。
そのときに、誰がその責任を負うか? を明確にしておくことは大事です。
一般的に「部下の不始末は上司がその責任を負う」ということまでは理解・認知されていると思います。
ここで大事なのは、「では上司とは?」という概念・定義です。
上司とは人事権もしくは指揮命令権を持つ立場の人です。
つまり、同じ会社内であっても人事権や指揮命令権を持たない人は上司ではありません。
商品開発部の社員が問題を起こしても、営業部門の部長が直接的に責任を負うことはないわけです。
営業部門の部長は、自分が直接指揮命令する営業部門の副部長や課長などについて責任を負います。
また、直接指揮命令していなくてもそれぞれの副部長や課長が指揮命令している部下については、タテの関係で人事権を持っていますからやはり責任を負います。
社長は会社全体の社員に対して人事権を持っているので、どこに所属する社員であっても、もし悪さをしたときは責任を負う必要があります。
企業では、そうやってルールを明確にしておくことが「組織力発揮=グループダイナミックスを発揮」するために必要です。
・・・とまあ、ここまでは論理的に責任を負う範囲をあらかじめ想定しておくことの大切さを言いましたが、現実社会では加えて「道義的責任」を考慮することも必要です。
道義的責任は「論理」を超えて「倫理」の次元で考える必要があります。
いずれにしても、責任の裏返しの言葉は「権限」ですから、
当事者に対して何らかの権限を有している以上は何らかの責任をも有する・・・
何ら権限を有していないなら責任は無い・・・
と考えることが筋だと思います。