「福の神」という言葉があります。
日本では、福の神が付く人は「人知れず善いこと(善行)を繰り返している人」に多い・・・と言われています。
いわゆる「善行者」であり、少なくとも「悪行者ではない」と言われています。
また、ここが肝心なのですが、福の神は「願い」を叶えてくれるのではなく、むしろ「願いに応じて経験を与えてくれる」・・・という点です。
この「願いに応じて経験を与えてくれる」というところが何とも日本的な考え方で、とても重要な観点だと思います。
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上記の論理で言うと、仮に「優しい人になりたい」と願う人がいたなら、福の神はその人に「誰かに優しく接する経験/接せざるを得ない経験」や「誰かから優しくされて自身に本当の優しさを気づかせてくれる経験」を与えてくれることになります。
・・・ということは逆に言うと、「誰かから冷たくされる」とか「無視される」とか「嫌われる」といった「反対の経験」をも与えてくれるとも言えます。
それは、「優しい人」になるためには「人の心の痛み」を知り、その痛みを他人に味あわせたくないという意識を心に持たせる必要があるから・・・です。
そうやって自分も優しくなれる・・・わけです。
そのためにそうした「苦い経験」を自分自身が経る必要があるのだと思います。
そう考えると、「泣くほど辛い経験」もその人が優しくなるための一つの経験と言えます。
泣くほど辛い経験も、泣くほど嬉しい「経験」も実はどちらも福の神がその人に与えてくれている試練/プロセスの一つなのかもしれません。
そう考えれば(そのように出来事を捉え直すと)、今自分が経験していることの真の意義が明らかになってくるかもしれませんね。