ダイヤモンドを原石レベルから皆がよく知っている「ダイヤモンド」にするためには「磨く」という行為が必要です。
そのとき、ダイヤモンドの原石は自らの力で自分を磨くことはできません。
人間という手を介すか、自然界の中でさまざまな鉱物等の偶発的な力を借りて粗を削がれるで、ダイヤモンドはダイヤモンドになります。
包丁やノコギリも、それ自身が自らを研ぐことはあり得ません。砥石がなければ包丁は研げない、ということです。
人間にも同じようなことが言えると思います。人間も自分自身で自分を磨くことはできません。
自分を磨くには、結局は他人の存在が必要です。他人との出会いや交流を通して徐々に人は磨かれていきます。
人間も(ダイヤモンドのように)輝きを放つ存在となり、周りから見てキレイで価値ある人物になるには、少なからず他人の存在が大切で、切磋琢磨が必要です。
ダイヤモンドは本質的に磨かれたからダイヤモンドになるわけではないとしても、人間は磨かれたことで本来の自分以上の人間になることができます。
ここがダイヤモンドと人間の違いかもしれません。
もともと持っていた本質の部分が磨かれることで露わになったことと、本来持ち合わせていなかったことが他人からの影響力のおかげで身について人を魅了させるようになる違いです。
自分を磨くには自分以外の力を借りることが必要・・・と理解して、他人と切磋琢磨を繰り返す姿勢は大切だと思います。