人は、大人になって自分で生計を立てていかなければならなくなったときから、絶えず心のどこかで「お金がなくなることへの恐怖」と格闘して生きています。
アルバイトをしてもほとんど稼げない月/そもそもアルバイトが見つからないときなどは、どんどん目に見えて貯金が減っていくことに不安感を飛び越えて恐怖感を覚えます。
一人暮らしをしていると、極端な場合は電気やガス、水道を止められることさえ起こりえます。
食うモノにも困って、何日も水だけで過ごす・・・その水さえも止められるともうお終い!です(水は最後のライフラインでそう滅多に止められることはないハズですが・・・)。
私は学生時代などでもそこまでのひもじい思いをしたことはありませんでしたが、今まで出会った高齢者の方の中にはそうした苦い経験をされた人が何人もいらっしゃいました。
昔は、今と比べ物にならないくらい貧しい日本の時代背景があったものです。
いずれにしても、人は「お金がなくなることが怖くて怖くてたまらないもの」・・・です。
そして、そうした状態は「忘れた頃、徐々に・・・あるときは突然に!」やってくるかもしれません。
老後生活における収入減は年金だけ・・・という生活パターンで、徐々に貯金が減っていく恐怖というのはすなわち「お金がなくなる恐怖」とイコールです。
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人は厳密に言うと「お金がなくなることが怖い」のではなく、「お金がない自分を人前に晒すことが怖い」のかもしれません。
他人からどう思われているのか?を気にするがために、「貧しい/貧乏」と思われるのが怖いという面があるわけです。
一つの原因は「常にカッコいい自分でありたい/そういう自分を魅せたいという完全完璧主義」が背景にあるのかもしれません。
老後の生活が長くなると、徐々に社会との結びつきが薄れていき、そうした完全完璧主義から解放されていく人は多いと思います。
あまりに開放され過ぎるとタダの「我がまま老人」になりますが、劣等感がなくなる分だけ人生に一種の悟りが開け、「お金がないことの恐怖」も薄れていくのならそれはそれで良いと思います。
「自分は今のままでいいんだ/これもまた自分の人生だ」・・・と受け入れる度量ができると、人は強くなれます。
もちろん、自分のダメなところを人前に晒すことは慣れるまでは怖いことです。
でも、それができるようになる見返りは、それなりにあると思います。
勇気を持って「お金がない恐怖」と闘い、克服することも大切なことだと思います。
人生お金がすべてではありません。
もちろん、ないよりあったほうがベターであることは間違いありませんが、今の日本であれば弱者保護・救済の手立てがありますから、見栄や外聞を気にしなければ生きていけると思います。
まあ、そうは言っても私もそうした人生は歩みたくないので、お金がなくなる恐怖と闘って「お金に関して無頓着になれる人生」を過ごしていきたい・・・と思います。