南極大陸はそもそも人が訪れる場所ではない・・・と思っていましたが、最近では旅行客がたくさん訪れているようです。
南極洋には氷山がたくさんありますが、水面上に見える氷山は小さな氷の塊(かたまり)でも、その水面下には何倍もの大きさの氷山がある・・・と言われます。
また、ハクチョウが優雅に泳ぐその裏側では、水面下で一生懸命に足をもがいて、ばたつかせている・・・と言われます。
こうした話は、表面的には簡単・ラクそうに見えても人の見ていないところで努力をしているものだ・・・というたとえでよく使われます。
たとえば刺繍(ししゅう)というのも、見れば単純にキレイだなあ!スゴイ!と思います。
ところが、見た目はすばらしい絵の刺繍で綺麗であっても、その裏生地はわけのわからない糸の集まり状態です。
裏生地をパッと見たら何が何だかわからないぐちゃぐちゃの糸の状態です。
つまり、表面ではキレイな刺繍の絵でも、その裏側では懸命な努力がなされているということです。
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表と裏の両方をもって本質に近づきます。
片側だけでは、所詮片側だけです。
表では見えなかったことが裏側から見ると見えてきたり、その逆のパターンもあります。
たとえば、1枚の新聞紙を切り刻んでバラバラのパズルにします。
それを元の1枚の紙面に戻すように子どもに問題を出すとします。
幼い子どもだと文字なんて読めませんし、読めたとしてもバラバラの新聞紙片を元通りにすることは至難のワザです。
ところが、ある子は見事にパズルを完成させ紙面を復活させた!
さて、どうやったのか?
新聞紙の文字の面を見てパズルを解いたのではなくて、反対の面から新聞紙を眺めることで解いた・・・。
その紙面の反対側にはモデルの人が大きく写っている広告だったので、その子はその絵(写真)の記憶を頼りにパズルを完成させた・・・というわけです。
表では細かい文字の羅列でも、裏では大きな画像だったために幼い子でも元通りにできたという話です。
物事は、表面的なキレイさ・華やかさに惑わされるのも良くないし、あるいは複雑に見えるからと投げ出したりしてもいけないし、視点を変え見方を変えることで本質的にとらえることが大切ですね。