ギリシャ国民の行動や考え方の根底には古(いにしえ)の都市国家「ポリス」時代の労働観が潜在意識として色濃く影響を与えているのかもしれません。
「労働」(Labor)と「仕事」(Work)を区別して、労働は奴隷がすること、仕事は知識人がすること、という考え方です。
つまり、「肉体労働は知識人のすることではないのでそうした働き方はボクたちはしないよ」・・・という労働観です。
一方日本は、昔から稲作などを含めて肉体労働をすること=正=神様もなさること・・・といった労働観があります。
年間を通していろんな行事を行い、神様と人間が同じようなことをする喜びを分かちあい、作物の実り多きことを願って祭りごとを行なったりします。
ギリシャは日本と違って「奴隷制度」の概念が古代から綿々と受け継がれてきたので、教養ある知識人が行なうのは知的労働だけ(せいぜい文化・スポーツに関わることくらいまで)だ・・・とされてきたのかもしれません。
ここが、もしかしたら物事の発想を分ける根本的な違いの元で、こうしたところにギリシャに公務員が多いことの原因が隠れているとも言えそうです。
何と言っても、国民の4~5人に一人が公務員ということは、4~5人に一人は国から給料をもらっているわけです。
民間なら当然あるはずの競争原理がほとんど適用されない公務員世界でナント20~25%の人が暮らしているわけです。
しかも税金をたくさん徴収するわけでもないとしたら、暮らす者にとっては天国ですね。でも、よくよく詰めて考えていけばその公務員の給料の捻出先がないことも自明の理です。
「額に汗して働く姿は尊いもの」という観念を多くの人が持ち、「競争原理の有効な社会で働いてみる」という経験は大事だと思います。
「職業に貴賤なし」という発想でさまざまな職を経験する・・・日本でいうなら学生時代にたくさんのアルバイト経験を積むことなどもやはり必要・大切なことですね。
それが勤労に感謝することにつながると思います。