「普通は○○だ・・・」と語るとき、そこで言う「普通」というのはあくまでも「その人が勝手に作り上げたその人の価値観」に過ぎません。
たいていの場合は、その人だけでなくてその他大勢の人も含めて多くの人が認める価値観であることも多いのですが、数%の範囲では「その他大勢の人が認めない価値観」だったりします。
そうした場合に、意思疎通がうまくいかず、悲劇が起きます。
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多くの人とは次元の違う努力をしている人、多くの人には出せない結果を出している人など、いわゆる上位数%に位置する人が抱いている「普通」という価値観は、やはりその他大勢の人が持っている普通とは別ものです。
成功している人の習慣は、その人にとっての普通ですが、他の人には「すごいこと!」だったりします。
また、怠け者、結果を出せない人の普通というのも、結局はその人にとっての普通にすぎず、成功者/上位数%の人から見ればとてもとても低い次元の話だったりします。
何をもって「普通」とするか?
自分の普通と他人の普通とはレベルが違う・・・という認識を持つことは、すべての人に必要だと思います。
そうなってしまう背景には、生まれ育った環境や、受けてきた教育・躾や、周囲にいる他人たちの影響が大です。
ときに世の中の常識のように語られることの多い「普通」・・・という言葉ですが、むやみに縛られ、惑わされることのないように気をつけることが大事だと思います。