日本では1万円札にみんなが1万円の価値・評価があると思っているからこそ、食べ物や衣服を買ったりするときに1万円札を出して交換を求めます。
1万円札には価値がないという共通認識をみんなが持ったら、その日から1万円札で交換できるモノ・サービスは極端に減ることになります。
場合によっては、ほぼ無価値・・・ということも起こりえます。
要は、みんなが信じている間の現実は共通認識がなくなった(失われた)瞬間からパラダイムの変換が起きる、ということです(まあ、当たり前のことですが・・・)。
これが共同幻想と呼ばれるものです。
「共同幻想であり共通認識であるさまざまな事柄」が世の中には存在しています。
こういった共通価値観のルールが基盤・前提となっていることで「社会」が成立することを可能としてくれています。
「国家」レベルだけではなく、「企業」に当てはめてみても、また「各家庭」に当てはめても同様のことが言えます。
とても大事なことですが、残念なことに「世界」に当てはめると、その「共通」となる部分にところどころ「欠け/綻び」が生じていてなかなか「共通」になっていないところが点在しています。
グローバル社会・・・と言われて久しいですが、全世界がグローバルな展開と求めるなら求めるほど、この「共通認識」に関して本当に「共通化」を図っていくことが重要だと思います。