ドイツの社会学者ヨーゼフ・ピーパーという人が「休むことがいかに大切か」ということについてこう言っています。
「神様は世界を6日でつくり1日を休みにした。
昼と夜、天と地、動植物と人間をおつくりになった神様は最後の一日はそれらを眺める休息の日にした・・・。
安息日とは単なる休憩の日ではなく、自分が為した仕事と作品を振り返ってそこに意味や意義を見出す創造的な時間である。
人間にも安息日が必要で、この安息日がないと人間の仕事は単なる労働に堕ちてしまう」・・・と。
従来の日本人の働き方はエコノミックアニマルと揶揄されるように、仕事というよりは労働に近かったのかもしれません。
それが、時間をかけて徐々に労働から仕事へと移行してきたようにも思えますが、でもまだ労働の域を出ない人は多くいると思います。
労働の域から脱出できないと、自分の時間が極端に減り自由な時間が無くなるので、ひいては自分の「選択肢」がかなり狭まってしまいます。
選択肢が限られてしまうことは「豊かさの反対の極致」にあると思います。
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仮に選択肢が一つしかないとき、人はその選択肢を受け入れざるを得ません。
それが自分の希望に即したものであれば何の問題もありませんが、自分の意向に反した選択肢しか見つけられないとき、人生はまさに苦難の時・・・となります。
「もう○○しかない!・・・」となったとき、自分の人生なのに自分ではコントロールできない人生となり、まるで他人の人生を自分が操られて歩むかのようになります。
仕事でもスポーツでもゲームでも選択肢が一つしかなくて、仮にその選択肢で行動した結果は失敗に終わりそうだ・・・と推測できると、一気に意欲も萎えます。
逆に、人生のあらゆる局面で選択肢が豊富にあると、人生は自分でコントロールできることになり、良いも悪いもその結果を自分で受け入れるだけの度量がつきます。
人生を「一種のゲーム」になぞらえて考える心の余裕も生まれてきます。
何か壁にぶつかったらこれを乗り越えていくゲームだと考えたり、病気になったら健康を取り戻すゲームだと考えたり、恋人とケンカをしたら再び仲良くなるゲームだと考えたりする心の余裕を持てる人は立派です。
そういう人はいつも選択肢をたくさん持っている人です。
選択肢の多い人は「豊か」な人です。
逆に選択肢の少ない人(限定された人)は貧しい人です。
選択肢が多すぎるというのも決断に時間がかかって逆効果かもしれませんが、それでもやはりある程度の選択肢を携えて生きていけることは幸せなことだと思います。