地方に行けば行くほど「車社会」だと言われます。
実際そのとおりだと思います。
東京にあって地方にない(少ない)ものの一つが「地下鉄」です。
東京の23区内だとちょっと歩けば地下鉄の駅があったり、あるいはJRの駅やバス停などがあるので、移動をするのに車がなくても何とかなります。
また、それら電車も2~5分おきくらいで次の電車が来るので、いちいち時刻表を覚える必要もなく、東京で電車の時刻表を覚えている人なんてほぼ皆無だと思います。
ところが、地方に行くとそうはいきません。
バスしかなかったり、そのバスも1日にわずか数本限りだったりします。
だから必然的に人々の移動手段として「自家用車」が重宝され、人は車を手放せない生活下に置かれています。
電鉄事業会社の採算の面から地下鉄網が発展しないのは仕方のないことであり、逆に言うと地下鉄が整備されているということはそれだけ人口が多いことを意味していると言えます。
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地方ではいつしかどこに行くのでも車・・・車・・・となり、ちょっとご近所さんまで行くのも車!・・・コンビニやスーパーに行くのも車!・・・もちろん空港や新幹線停車駅に行くのも車!・・・という生活になっている人は多いと思います。
そのため、高齢者になっても車の運転を当たり前にする人も多く、したがって「免許返納」という行為が持つ重みが必然的に都会とは全然違います。
ずっと自分で運転してきた人からすれば、いきなり自分の行動の自由を奪われ、世間から厄介者にされたような気がしてそれを認めたくない気持ちになっても不思議ではありません。
運転免許の返納を検討するということは、運転/車を失うことによる自由度の加減と未来の安全を天秤にかけるような話です。
免許返納で問題になるのは、運転する高齢者がもしも事故を起こして加害者になったら・・・という想定の話のときです。
特にそこで問題になるのは「被害者の命を奪う」というあってはいけないことや、その他事故による「損害賠償金の支払い」だと思います。
最悪の事態に陥ると、たとえ損害賠償を支払ったところで相手(被害者)の人生は戻らないですし、遺族の傷も癒えません。
そのリスクを運転免許返納と絡めてよくよく検討する必要があると思います
高齢者になれば(一概には言えないかもしれませんが)、その身体能力/判断能力は確実に若い時より落ちています。
晩節を自らの手で汚すような生き方はしたくないものです。
車の自動運転という技術が進めば、高齢者であっても上記のリスクがなくなり、免許の返納をしなくて済むようになるかもしれません(そもそも免許自体が不要になるかも?)。
ただし、まだその日が来ない以上は、自分がどの段階(年齢など)になったら運転免許を返納することにするかを、自分の意思であらかじめ決めておくくらいの意思決定をしておく潔さが大切だと思います。