大多数の人は今まで生きてきた延長上で大人になり、そのまま歳をとり、やがては終焉(=死)を迎えます。
「いつかは私もきっと・・・」という淡い想いを持っていたのに、それがいつしか無くなり、やがて心の中から忘れ去られ、ただただ日常に流されるがまま生きていくようになりがちです。
多くの人は年末年初にあたっては「来年こそ」とか「今年こそ」という意気込みを一瞬だけ見せるのですが、残念なことにそれは長く続きません。
年末年始など節目の時は、周りの風潮に染まっていろいろ意気新たに考えたりするのですが、なかなか変化しきることができません。
結局、明日になっても、明後日になっても、来月になっても、来年になっても何も変わらず、これまでの延長上を生き続ける人が圧倒的多数です。
それだと、当然のことながら5年後も、10年後も、20年後も本質的に何も変わることはありません。
老いとともに心身の健全性も損なわれると気持ちの方向性がネガティブになり、ますます野心野望の類も薄れていきます。
ついには(終活を経て)あの世に召されるのをただ待つだけ・・・になります。
そんな余生を送る自分の未来を歓迎する人はいないと思いますが、先々見通すだけの意識がないと結局はそうした余生となってしまいます。
本当に悔いのない人生を歩んだ・・・と言えるように、人生の節々で「先を見通す」という意識の向け方に気をつける必要があると思います。
仕事だって、先々を見通すからこそ「今日やるべき優先順位の高い仕事」を判別できるわけですし、今すぐ着手する仕事を選べるわけです。
仕事ができない人は「え~っと、今日は何をしようかな?」と言ったり、上司の目を盗んでサボっていたりしますがそれでは出世や成長が見込めるはずがありません。
平凡で変化のない日々というのは何も残らないことが多く、生きていても死んでいても変わらない状態とも言えます。
もちろん、平凡であっても何もトラブルがなく平和に気持ちよく暮らせることはありがたいことで大切です。
でも、人として生きている以上は多少なりとも「刺激/変化」を求める姿勢を持っていたいものです(つまり、平凡+成長)。
歳をとっていく過程で「自分の人生は充実している」と感じられ、振り返れば「素晴らしい思い出だらけの人生だった」と言えるようにしていきたいものです。
さまざまな場所に行き、さまざまなものを食べ、ざまざまな人に会って、さまざまな経験をすれば、それは自分の感情を強く揺り動かし、良き思い出として蓄えられていきます。
人生も後半に入ったなら、願わくば毎日同じで平凡なだけではなく、多少の刺激感がある日々の連続にして、思い出いっぱいの最高の人生にしていきたいものですね。