人は誰しも「謂れのない責任は取りたくない」ものです。
車が猛スピードで走ってきたため衝突・事故を避けるためにサッ!と横に動いたらたまたま他人のモノを壊してしまった・・・というとき、法律的には「緊急避難」として刑事責任を問われることはないと思います。
でも、ここで民事上の責任を負うと言われたら、「でも自分が悪いのではない・・・」と言いたくなるのが人情だと思います。
謂れのない責任は負いたくない・・・からです。
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会社で事業の進展・展開に関して発言を求められた場合、そこで楽観的な発言をしてしまうと後々うまくいかなかったときにその責任を取らされかねない・・・と懸念し、わざと「悲観的な発言」をする人が多くいます。
それだとうまくいけば儲けもので、うまくいかなても自分の責任にはならない・・・と考えるからです。
楽観視していたことがそのまま問題なく終われば何事もなく日常が流れますが、仮にヒドイ結果となった場合は「お前は楽観視して適当なことを言って関係者に損害を与えた」と責任を追及されたりすることがあります。
これではたまったものではありません。
だから、組織では必ず「権限と責任」は表裏一体でセットでついているとしなければいけません。
ところが、組織ではなく、たとえばテレビのコメンテーターや学者などでは、そこに権限は存在していませんから生じるのは「責任だけ」となります。
これだと割に合わないので、テレビに出てくるコメンテーターは自然と「楽観的な発言をしない/どちらかと言えば悲観的見方をして予め牽制しておく」という姿勢になっていくのも仕方のないことかもしれません。
テレビの報道番組・ニュースでの識者の意見はあくまでも参考にとどめておいて、別途自分なりに調べるなどして判断していくのが良いと言えそうです。
負えない(負いたくない)責任を相手が負っていると感じたら、その人の発言や言動はあまり信用せず重要視しない・・・ほうがベターだと思います。