お釈迦様の言葉です。
「善いことをしたなら、安心していなさい。
その善いことがずっと昔にしたことだとか、遠いところでしたことであっても、安心するがよい。
人に知られずしたことであっても安心していなさい。
それの果報があるのだから安心していなさい」
何とも心が救われるような言葉だと思います。
まあ、もともと見返りを期待して善行(善い行ない)をしたわけではないので、何も思わない(≒無の心)でいることがもっと大事だと思いますが、でも、何か不安に感じることがあるときは上記のお釈迦様の言葉を思い出すとちょっとは心が安らぐと思います。
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お釈迦様がそうおっしゃるのは、因果の道理があるから(因果とは「原因と結果」のこと)であり、これは仏教の根幹にあることだと思います。
善い行いをすれば善い結果が生じ、悪い行いをすれば悪い結果が生じる・・・。
善いも悪いもすべて自分が蒔いた種によるものなので、その結果はすべて自分が刈り取る義務と責任がある・・・これらに例外は一切ない・・・。
蒔いた種はどんなに時間が経っても決して無くなることはなく必ずどこかで種を蒔いた人に戻ってくる・・・というのは「業力不滅」とも呼ばれるそうですが、そう考えることで人の心は安寧感を取り戻すことができます。
逆に言えば、「安心したかったら善いことをしなさい」ということです。
善いことをすればいつか必ず人生が明るく開けていく・・・。
不安から逃れたいなら、悪い行ないをやめることも大切です。
悪い行ないをし続けていると、いつか発覚するのではないか?いつかバレるのではないか?と、常にビクビクして生きることになり、心が休まりません。
心が安らかになれないということは、どこかで心の病に侵されるかもしれません。
子どものころに受けた教育・躾でもありますが、「一日一善/善き行ないを日々行なう」ということは人としてまっとうな生き方を歩むためにも重要なことだと思います。