若い頃は「お金はいくらあっても良いもの」だと思っていました。
なぜなら、人生においてどんな不測の事態(良いも悪いも含めて)が起きるかわからないし、何かあったときにお金があればたいていのことは解決できるだろうから・・・と思っていたからです。
実際、そのとおりでした。
思ってもいなかったことが起きたり、想定外の出費があったり、お金があることで乗り越えられた諸問題も多々ありました。
でも、50歳で現役をリタイアしてそれまでのライフスタイルを一新してからは「そんなに多くのお金を持っていても使いきれないだろうな」という考えに変わりました。
子どもも社会人として独立し、家のローンもなく、身体は健康でケガや病気もなく、したがってお金が必要になるのは一般的な日常生活を送るため/ときにはちょっとしたレジャー(旅行など)/一時的な冠婚葬祭・・・くらいです。
お金は、ある一定以上の金額を稼いだらそこから先は余剰分ですからタダの数字、記号に過ぎなくなります。
生活という面では10万円/100万円単位の数字は意識せざるを得ませんが、さすがにこれが10億円とか1兆円となるとまったく現実味が湧きません。
お金はあくまでも「道具」の一つであり、人生の目的ではありません。
自分が幸せに暮らしていくための道具だと割り切るくらいの気持ちが大切だと思います。
経営者の中には後人に道を譲らず、80歳・・・90歳になっても自分が会社の代表として実権を握って支配し、私腹を肥やしながらお金を貯め込んでいる人もいますが、そういう人たちは私と価値観が違うのだと感じます。
そんな歳になってまだお金を追いかけているように見えるのは、人生の生き方としてリスペクトできない気がします。
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人生にはいくつかの異なるステージがあると思います。
Ⅰ 倫理を学び、知識を蓄え、体験をするステージ
Ⅱ 知識と体験を活用して自分の願望を叶えるステージ
Ⅲ 次の世代に何かを残すステージ
大きく分けてこの3つがあると思います。
年齢でいえば、最初のステージがだいたい30代くらいまで。
次のステージが、だいたい50代くらいまで。
最後のステージは60代以降といった感じです。
だから、厳しい言い方をすれば50歳にもなって人生にまだ不足感を感じているとしたらちょっとヤバイということです。
60代を過ぎて70代ともなれば、お金とか即物的なモノから離脱して、社会/コミュニティーなどに貢献することを考え、「還元の芽」が出てくるのが良いと思います。
小・中・高の学校教育が大事なのは、ここで誤ると次のステージ以降の人生が大きく変わってしまうからです。
勤勉さを身につけず、怠惰とか一攫千金とか贅沢といった性質だけで身を固めると、その先の人生は道がズレて場合によっては犯罪者になって人生を破綻したりする気がします。
知識や体験の獲得がゴールではありません。
それらを活かして大願成就する道を歩む先にゴールがあると思います。
未来のことは誰にもわかりませんが、でも、自分はこうなる/こんな人生を歩む・・・と自分で決めると、そのレールが薄っすらと頭の中に敷かれます。
お金はある程度は必要ですが、齢(よわい)を重ねて人生も3分の2を過ぎてくれば、そろそろお金の執着心を捨てて「還元の芽」を息吹かせることに意識を向けるくらいがほしいところだと思います。