
完璧主義ほど、基準の低いものはない
by アンソニー・ロビンズ
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カラオケで歌を歌う人の中には「歌が上手」な人もいますが「音痴」な人もいます。
仮に音痴で、歌がヘタでも、カラオケが好きで歌を歌うことが好きな人は、自分の意の赴くがまま歌えば良いと思います。
何でも「やらない」よりは「やってみる」ほうがベターです。
クルーズ客船に乗ると、必ずといって良いほど「ダンス場」があり、社交ダンスを踊る人たちがいます。
社交ダンスに限らず、古い年代のポップス曲に合わせてディスコ風に踊る場・時間帯・人たちもいます。
踊りのレベルはそれぞれですが、大事なのはそうした人たちは「完璧な人ばかりではない(むしろ少ない)」ということです。
「他人は自分が気にするほど自分のことを見ていない(聞いていない)」ものです。
多くの人は、「人前に出ること=完璧であること・・・そうでなれけばみっともない」などと、知らずのうちにハードルを上げがちです。
それは同時に「人前に出るには自分も完璧でなければならない」というプレッシャーにつながり、「自分は完璧ではないから人前に出ることはできない」と諦めにつながります。
もったいないことだと思います。
人は、みんな、不完全なままで自分の夢を叶えていけばいいし、自分のやりたいことをすれば良い(法や倫理に反しないなら)と思います。
完璧ではない=不完全なままでも目標は達成できるし、不完全なままでも愛されるし、不完全なままでも幸せになれるハズです。
完璧であれば試合や競争が成り立つことがないはず(完璧なら負けるはずがないから)なのに、実際はそうではなくいろんな試合や競争が成立しています。
完璧じゃないからまだ世の中に出せない、完璧じゃないからまだ行動できない、完璧じゃないから見せられない・・・などといった恥ずかしがり屋さんの思い込みは捨て去ることが大切です。
世間をあっと驚かせるような発明であっても、最初はとんでもない欠陥を抱えたままのスタートであることが多いものです。
自分の不完全さを理由・言い訳にして自分の夢や目標を諦めることはナンセンスです。
夢を叶えるのに完璧な準備と完璧な能力を持つ必要なんてありません。
不完全なまま、人生は素晴らしいものになると思います。