その昔、「KY」という言葉が流行りました。
いわゆる「空気(k)を読(Y)めない奴」という意味です。
ここで言う「空気」とは何か?・・・というと、一種の「共通項」のことだと思います。
たとえば、何かの拍子に上司から「もっと空気を読め!」と叱責されたとしても、肝心のその「空気」が何なのか?がわからなければ、その部下はいつまで経っても「空気を読む」ことができません。
このとき、「空気=共通項」であり、「空気を読む=共通項探し」だと思えば、頭の中が回転しやすくなります。
元来、人の脳というのは論理的に機能するもので、曖昧なことを求められてもうまく機能しないものです。
会社組織では、その会社内でのみ通用するさまざまな「共通言語」が存在しています。
大事なのはその共通言語の「定義」を皆で理解し共有することです。
たとえば「もっと成長しなさい」と上司に言われても、「成長」の定義があいまいだと方向がズレます。
定義をはっきりさせないと、人はうまく行動ができないわけです。
(ちなみに私は「成長とはできなかったことができるようになること」という定義づけをしています)
話は戻りますが、たとえば人が5人いるとしたら、そこに5つの輪が存在しているようなもので、それらの輪が重なっているところが「空気」の正体になりえます。
自分一人だけの領域で話をしたり行動をしたりすると「KY」になりますが、他の4人の共通する領域内の話や行動であればKYにはなりません。
なぜなら、みんなが重なっているところだからです。
「空気を読む」とは「共通項を探すこと」だと認識するだけで、一気にKYから解放されると思います。