帰国子女の人の話し方を聞いていると、「私はこう思う/僕はこう思う」・・・といった発言が多いような気がします。
悪意をもってみるとそれは「我が強い」と映りますが、善意をもってみると「自分の意見をはっきり言える素晴らしいこと」だと言えます。
これは海外で住んでいると自然と身に付く習慣の一つだと思います。
英語ではたいてい冒頭に「 I think that・・・(私は・・・と思う)と「I=私」が付きます。
中国語も韓国語もほぼ同様です。
「私は」と書いて(言って)主語を明確にするのがおおよその世界基準である・・・ということを昔聞いたことがあります。
(まあ、帰国子女でなくても、日本人の中には「私はこうこうと思う」と言うタイプの人と、逆に自分の意見をあまり露骨に表現しないタイプの人がいますが・・・)
日本語はどちらかと言うと「私は」を省略して文章を成立させることが多いのが特徴的です。
話し言葉でも書き言葉でもそうです。
でも、考えてみれば昔の日本語だと「我○○と思ふ」・・・といったように「我(われ)」を冒頭につけて主語を明確にしていたと思います。
それがいつの間にか「私は・・・を言わなくなってきた・・・」のかもしれません。
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「自分探しの旅に出る」・・・とカッコいいセリフを吐いて旅行に出かける人がいます。
日本語では「私は・・・」の主語を省略して話すので何となく自分という主体性が消えたように思えて、自分を見失っているから探そうとするのかも・・・?。
でも、「自分」という存在は決して消えておらず、常に「今ここ」にあります。
普段から「私は・・・」と主語を明確にして話して(書いて)いると、わざわざ自分探しの旅になんて出かけなくても済むのかもしれません。
自分探し・・・という言葉に酔いしれている人は「自分を見失っている気がしているだけ」だと思います。
よく言われるように「自分探しの旅に出ても自分は見つからない」というほうが正解だと思います。
サラリーマンが独立起業して「自分で稼ぐ」となったときに、「自分」という概念がしっかり理解できていないと稼げるものも稼げなくなるかもしれません。
「私は!私は!私は!」としつこくでしゃばるように自分を主張するのはうまくありませんが、それでもある程度の自己主張を普段から行なう習慣を身に付けておくことは大切だと思います。
何かの事象に対して「私はこうこう考えます」としっかり話せる訓練をしておくと、仕事のうえでも他のサラリーマンとちょっとした差別化が図れるかもしれませんね。