これからの日本はとんでもない時代になると言われています。
……というか、コロナ禍ですでに相当ヤバいことになっているのは確かです。
「自分は大丈夫だ」と信じる気持ちは大切にしたいところですが、でも、かと言って何も根拠なくそう言ってるとしたらそれは単に「運頼み」にすがっているようなもので、ちょっと危険かもしれません。
「時代が変化したのだから自分の考え方も変化させる必要がある」……と当たり前のことに気づかなければいけないと思います。
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いつのころからか「安心・安全」というキーワードが飛び交う世の中になりました。
パッ!と聞くと、まさにその通り!と思えるのですが、よくよく考えてみると「安全であれば安心は確実だ」とも言えそうです。
面白いのは、逆に「安心だからと言っても安全とは言えない」ということです。
安全は安心を担保しますが、安心は安全を保するわけではない・・・というわけです。
ある意味では「安全は客観的な概念」で、「安心は主観的な概念」とも言えます。
たとえば、大企業が提供している商品・サービスだから安心だ・・・というのは、その人の心の中では安心かもしれませんが、本当にその商品・サービスが安全だという保証にはなりません。
安全よりも安心を望む人が多いと、リスクが過大にクローズアップされて機会が過小評価されてしまう恐れがあります。
本当は安全なのに「安心ですよ」というお墨付きがないと誰も手を出そうとはしなくなる(←これが機会損失です)わけです。
特に、投資・投機の世界には多くの人がパニックを起こしているときに信じられないような投資チャンスが訪れたりします。
安心のお墨付きがないばかりに極端に激安で放置されているものが出てきたりするので、そうしたときに購入しておくと、投資・投機の範疇ではまず成功する可能性が高まります。
つまり「いずれ儲かる/損をすることはない」ということです。
また、ビジネスの観点で言えば、そうした割安に放置されたものに「安心」を担保してあげれば、高い利益(利ザヤ)を得ることができます。
安心・安全というキーワードを耳にしたとき、自分は安心と安全のどちらに関心を強く寄せる傾向(クセ)があるか?そんなことを試しにチェックしてみると良いと思います。
「安心」に強い関心を寄せてしまう人は、いつしか「安心プレミアム」を高く買わされてしまっていて、節約できるはずだったお金をムダに費やしているきらいがあります。
その「安心」は本当に必要なのか?と、もう一度確認してみるのも手です。
もし、自分が「安全」というキーワードに強く関心を惹かれるタイプだと思えば、そういう人は「ビジネスでは販売者側の立場になろう」と思うのも良いと思います(まあ、一つの安全な策かも)。