
サラリーマン上司同士の飲み会の会話で「おまえってホント部下を愛していないよな~」という表現が出てくることがあります。
お酒の勢いもあって互いに酔っぱらっているので、ついホンネがポロリ・・・なのですが、言われたほうはちょっとムカつきます。
「愛していないなんてなんだよ!?じゃあ、おまえは部下を愛しているのかよ?!」と反論したくもなります。
ここで言う「愛」とは「関心があること」であり、もっと言うと「好意的関心」です。
「愛していない」とは、要は「無関心」ということになります。
酷い場合は「無関心」を通り過ぎて「敵対的関心」になります。
部下のことに関心がない、もしくは嫌悪している・・・といった場合は、「上司としての部下愛がない」と言えます。
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親は子に「無償の愛」を抱く・・・とよく言われますが、そもそも「愛(ここでは好意的関心)」は無償が当たり前で、有償の愛は愛ではないと思います。
仮に上司が部下を有償の愛でもって接するなら、そこには自分の何らかの便益・利得が絡んでいることになり、それは「愛」とは呼べず、ただの打算・自己得に過ぎないと思います。
部下を愛せない上司は、心のどこかで何かを「裁いている」のかもしれません。
裁く(ジャッジ)背景にあるのは、自分にとって有益な部下かどうか?自分の利得につながる部下なのか?・・・といった気持ちが潜んでいるからです。
その結果、「自分のためになる奴だ」と思えば(=裁けば)その部下を愛し、「自分のためにはならない奴だ」と裁けば愛さない・・・。
これだと有償の愛になり、したがって愛ではないと思います。
上司は必ずしも部下を愛さなければいけない、ということはありませんが、それでも部下の立場からしたら「できることなら自分を愛してほしい」と思うものです。
部下を愛せる上司になってもらいたいですし、部下も上司に愛されるような存在、態度、行動をとることは大事なことだと思います。
























