「罪を憎んで、人を憎まず」という言葉があります。
ところが、そんなにできた人はなかなかいません。
ほとんどの人は自分自身の中に「良い奴」と「イヤな」の両面を併せ持って生きています。
たまたま何か「イヤな奴」としての行動が他人の目に付くとき、そをれをやったのは紛れもなく自分という「人」なので、そのやった「事」とその「人」とが他人の中では完全に同一化して、その人は罪な人だ・・・という認識が生まれたりします。
なかなか「人」と「その人が起こした事」とを切り分けて別モノに捉えることは難しいことです。
ところがこれができるようになると、まさに「罪を憎んで人を憎まず」の精神が身につくことになり、ひいてはどんな人とでも仲良く付き合うことができるようになります。
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会社内には「他者への誹謗中傷が激しい人」がいたりします。
人の好き嫌いが激しい人です。
そうした人は他人の「人(人間力/人格など)」と「事(行為/態度など)」とを分ける術を持っておらず、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い・・・という精神状態にに自分を置きっぱなしです。
人をすぐに嫌いになって攻撃ばかりする人は、「人」と「事」を分けられない人に多くあります。
単純な人付き合いであればそれも止む無しですが、これが業務上の仕事となれば話は別です。
もちろん、私もそんなにデキた人間ではないので完璧にそれができるわけではないのですが、現役で仕事をしていたときは意識をして訓練することでほとんど嫌いになる人はいませんでした。
部下を査定する立場にある管理職・・・社員を適切に評価・管理・配置させる責の一端を担う人事課所属の人・・・であれば、「人」と「事」を分離してとらえる器量が必要です。
また、その一方であえて「人」と」事」とをつないでセットで考える器量も持ち合わせていることが求められることもあります。
そのバランス加減・・・使い分けの技術が大事なところで、いずれに天秤が傾くかはその会社によって判断基準が異なりますが、いずれにしてもその意識と技術を持つことは大切です。
人間関係は明確に白く黒をつけることばかりがベターではないので、清濁併せ飲むような大きな器もまた必要だと思います。