将棋では、「歩(ふ)」はコツコツと進んでいくだけで(しかもたった4歩!)「金(きん)」に成ることができます。
「金」になると何が良いか?・・・と言うと、それまでは前に一歩しか進めなかったのが「斜め前(左右)/真横(左右)/後ろ」にも進むことができるようになることです。
つまりは行動範囲が「1→6」となります。
言い換えれば、選択肢がそれまでは一つしかなかったのが6つの中から自由に選べるようになる、ということです(ちなみに、将棋では桂馬は3歩進めば金になることができ、香車は一手で金になることができ、銀将は6歩進めば金になることができますが、代償としてそれまでの行動範囲を100%失います。その点が「歩」とは成金の意義が異なりますね)。
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社会では、貧乏人がお金持ちになったことを指して「成金(なりきん)」と称したりしますが、この言い方には若干の嫉妬・やっかみが含まれています。
でも、成金になればそれだけ「選択肢が増える」ということは紛れもない事実です。
また、選択肢が増えるとはすなわち豊かになることであり、人が憧れとして抱くのは自然な感情だと思います。
社会では若干の嫉妬・やっかみをもって称される「成金」ですが、成金とまではいかなくても「自分がお金持ちであること/お金持ちっぽく見せること」を是としている人も少なからず存在しています。
そうした人たちは「モノ・サービス」を前面に出す(≒見せる)ことで自分のことをそう思わせようとするのですが、それは別の表現をすると「見栄」とか「贅沢」と呼ばれます。
見栄なのか、それとも贅沢なのか?・・・は、その人自身の価値観によって違うのが一般的です。
ただし、長年安定した経営を維持してきているお金持ち経営者の多くはこう言います。
贅沢はしてもいいが、見栄は張るな!
加えて彼らはこう言います。
「贅沢で潰れる会社はなくても見栄で潰れる会社は多い。何が良いものかを知るためには贅沢は必要だけど、見栄を張っても何の得もない。会社が潰れるときは見栄で潰れると知り、経営者は絶対に見栄のためにお金を使ってはいけない」
・・・と。
見栄を張るような人は「成金」止まりで終わるような人で、その行動はまるで孔雀が羽を広げている状態で街を闊歩しているようです。
周囲の注目を集め、異性にモテたい気持ちがアリアリと出ていて、チヤホヤされたいのが見て取れます。
「能ある鷹は爪を隠す」という言葉があるように、周囲に見せびらかすような見栄を張るよりもっと内面を磨いて謙虚に自然体で歩くほうが私は好きです。
単なる成金で終わらない=いつまでも豊かで選択肢の中から自分で自由に選べるような生き方をするほうがベターだと思っています。