「GINZA SIX(銀座シックス)」が、東京・銀座に先週オープンしました。
銀座で一番大きな商業施設で、構想14年(うち建設4年)という年月がかかっています。
一口に14年と言っても、その間の社会情勢や流行等の変化に対応しながら初心貫徹をやり遂げることは本当に大変な苦労があったと思います。
地下3階には観世流の総ヒノキで造られた能楽堂もあるそうです。
観世流と言えば、観阿弥・世阿弥が有名です。
世阿弥は室町時代の猿楽師で、父の観阿弥とともに能の大家として観阿弥流を世に残した人です。
世阿弥は数多くの謡曲を残していますが、それ以外にも有名なのが「初心忘るべからず」という言葉です。
50歳半ばに書いた『花鏡(かきょう)』という伝書の「奥の段」でこの言葉が出てきます。
そこには「初心」と言いつつも「この句三箇条の口伝あり」として、3つの「初心」を忘れてはいけない・・・と諭しています。
人生の中には3つの初心があって、
1.是非(ぜひ)の初心
2.時々(じじ)の初心
3.老後(ろうご)の初心
・・・だと。
それらを忘れてはいけない、というのが世阿弥の言う「初心忘るべからず」ですね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「是非の初心」とは年齢が若いときにある程度の評価を周囲から得たときに戒める言葉です。
チヤホヤされていい気になってはいけない・・・それを始めたばかりの頃の初心を忘れてはいけない・・・ということだと思います。
「時々の初心」とは、長い人生の中でその時々に経験した歳相応の気持ちや達成したときの境地を忘れてはいけないということだと思います。
「老後の初心」とは、老齢期においては老齢期に向いた所作を身につけることを老齢初期の段階で忘れてはいけない・・・と言っているのだと思います。
「歳をとったからもういい」ではなくて、老後にさえふさわしい芸を学ぶ初心があり、それを忘れずに限りない芸の向上を目指すべし・・・ということだと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「初心忘るべからず」とは、自分が経験したことがないことに自分の未熟さを受け入れながらも、その新しいことに挑戦していく心構えの大切さを説いているのかもしれません。
世阿弥の言を借りれば「老いる」こと自体もまた未経験なことで、初心が存在するわけです。
それは、不安や恐れではなく、新たな人生へのチャレンジであり、人として相応しい生き方なのだと思います。
世阿弥は、人生の試練にぶつかったとき、過去にどうやってそうした試練を乗り越えてきたのか・・・という自分の過去を忘れるな、ということも言いたかったのかもしれません。
サラリーマンが仕事をする過程ではいろんな出来事が起きます。
どんなことがあっても自分を見失わず、正当な生き方をする姿勢が大事です。
世阿弥の「初心忘れるべからず」の解釈はいろいろあると思います。
いずれにしても、人は天狗になって有頂天になって自惚れて、周囲に鼻持ちならない奴だ・・・と思われるような態度・生き方はうまくない、と思います。