私がまだ小学生だったころ、夏休みは毎日遊んで過ごせることが楽しかったものですが、高学年になると「先生にも自分と同じだけの夏休みがある」ということに気づいて、学校の先生っていいな~と思ったものです。
大人になるとそれがそうでもないと気づきますが、子どもの頃というのは表面的にしか物事を見ませんからそういうものだと思います。
昔は「でもしか先生」と揶揄されていた学校の先生ですが、最近にいたっては学校の先生はかなり重労働でハードな仕事だと思います。
教育をめぐる報道はここ数年マイナスのものが多く、いじめ、体罰、ブラック部活、モンスターペアレント、各種ハラスメント、隠ぺい体質などの諸問題が多く取りざたされています。
生徒に教えなければならない知識の種類はどんどん増えてきて、全生徒にタブレットを配布しての授業とか、電子黒板とか、小学校での英語授業など、学校の先生の負担も昔とは比べ物にならないくらいに重くなってきています。
時間的にも物理的にも心の面でも余裕がなくなり、いつまでも昔の古い教員像を守っている場合ではないと思います。
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「公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法」というのがあるらしく、教員には個々に計算して残業代を支払うのではなく、給料月額に一律4%の教員調整額を上乗せする形で残業代としている・・・と聞きました。
この「4%」とされたのは1966年で、時給換算するとたった約270円・・・だそうです。
これで教師の高品質を保てるとは到底思えません。
日本では教員不足だとよく言われますが、給料という待遇面で見れば「さもありなん」・・・と言えそうです。
教員のなり手が不足する・・・ということは教員の質の低下に直結しますし、それは子どもたちへの教育の質が低下することを意味しますし、巡り巡って日本という国全体の首を絞めることにつながります。
教育にお金をかけない家庭も国も衰退します。
逆に言うと、教育にお金をかけ力を入れると、家庭も国も元気を取り戻します。
国のことは個人がどうこうできませんが、自分の家庭のことなら手が及ぶ範囲です。
家庭内での子どもの教育/躾などにはそれなりのお金や手間をかけて高品質(良品質)なものを施していくことを心掛けることが大切だと思います。