薬物問題で逮捕・起訴された清原被告に懲役2年6カ月執行猶予4年の判決が言い渡されました。
清原被告はかつて現役引退直後のインタビューで、こう言っていました。
「引退してからはバットを振っていない。朝起きて何をしたらいいかわからない。今まで野球ばっかりだったので・・・」
サラリーマンが定年退職した後に言うセリフと同じです。
つまり、急に時間が取れるようになったのはいいけども、この時間をどう使えばいいのかわからなくて逆に困った状態に陥ってしまう・・・ということです。
普段自分の時間を取れない人には何ともぜいたくな悩みに聞こえますが、本人にはそれなりに困った問題です。
これはすべてのスポーツ選手に言えることで、加えて言うなら選手の引退年齢が上がるにつれて深刻化してきます。
大事なのは、いつか迎える現役引退を考慮して「その後のことまで現役中から考えていること」です。
清原被告の場合、彼から野球をとったら何も残らなかった・・・ということです。
多くの定年間際のサラリーマンに共通することだと思います。
自分から「会社通勤(←あえて仕事とは言わずに) 」を取ったら何も残らなかった・・・ということがサラリーマンにはありがちです。
「誰かから何かをとったら何も残らない」という現象、もしくはそう思わせてしまう現実を指導する側にいる人たちは認識しておくことが大事だと思います。
オリンピックが約束されていたような選手でも、一度間違いを犯すと自分からそのスポーツ種目が消えてなくなり急にやることがなくなります。
ただただ毎日スポーツに明け暮れていても人間力が高く、人として魅力的な人間になれるわけではありません。
年齢に関係なく、「スポーツ活動を通して人間的に成長したい」と本人自身が意識することも必要です。
また、そうした指導を上の立場にある人が普段から行っていることも重要です。
サラリーマンもただ仕事ができるからといって、その人が人間として魅力的で素晴らしい存在かと言えば、決してそんなことはありません。
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清原被告は「野球を教えられ」てきたのであって「野球で教えられてきた」わけではなかった・・・と言えそうです。
ある程度の経験を積み、立場もそれなりの立場になった後は、そこから先を自分自身で考えるしかありません。
その「そこから先」を生きる術を前もって教えてあげるのが、指導者の役割です。
実際そうした教育を受けてきたアスリートは、引退後も別の活躍する道を自ら切り開き各種方面で活躍されていると思います。
教育する側にいる指導者、リーダーは、「○○を教える」のではなく「○○で教える」意識を持ち、本人もまた「○○だけを教わる」のではなくて「○○で人としての道を教わる」ことが重要だと思います。