「出る杭(くい)は打たれる」という言葉があります。
出ようとしている杭に罪はないけど、得てして他と異なる行動をすると叩かれやすいものだ・・・という意味です。
「杭」がまず悪く、かと言って「打つ側」にも非が少しはある・・・と両者ともに悪者にされます。
ここには「理不尽に(打たれる)」という言葉が隠れています。
ルールにのっとって適切に打たれるなら明らかに打たれる側(=杭)に非がありますが、そうでないのは「理不尽に」打たれるからです。
なぜそうした理不尽さが通用してしまうのか?
それは、理不尽な行為をする側が「権力を持っている」からであり、出る杭に対して「嫉妬」しているからです。
言い換えればこうです。
1.権力を持つ人を嫉妬させると打たれる
2.権力を持たない人を嫉妬させても打たれない
3.権力を持っている人に嫉妬されなければ打たれない
サラリーマンは、時と場合によっては「能ある鷹は爪を隠す」を演じることも必要です。
特に「出る杭は打たれる」状態になりそうなときです。
サラリーマン社会の中で「打たれる杭」になっても得することなどほとんどありません。
あえて「火中の栗を拾う」がごとく「出る杭」になるのではなく、時には実力を隠してそっとやり過ごす処世術も身に付けておくほうが良いと思います。