私が子どもの頃は、近所の空き地で放課後にみんなが集まってボール遊びをしたりして遊んだものです。
世代が移り変わると、多くの子どもたちは学校が終わった後はポータブルテレビゲームで遊ぶようになり、最近ではそうしたことすらなくなって、塾や習い事に通うのでみんな忙しいようです。
昔は、野球などのスポーツや遊びを通して「チーム戦(団体戦)がどんなものか」ということを子どもは学んだものですが、最近の子どもたちはそうした学びの場がかなり無くなってきたように思えます。
集団の中で遊ぶことでそこに存在するルールを知り、ルールを守らなければいけないこと・・・を子どもたちは自然と学んでいきますが、そうした場(環境)がないと、学ぶことができずに独りよがりの我が儘な発想しかできない子に育つ恐れがあると思います。
昔は、「何が公平で何が不公平か?」を認知することがいかに大事なことかを知り、ルール違反をするとこっぴどく叱られたものです。
だから、電車の中や公共の場で大騒ぎをするなんてことは絶対にしない子どもが育ちました。
遊びの中のルールは、親や先生からの圧力よりも強力で、グループ内はルールによって一種の統制がなされていたものです。
そして、最終的な判断(ジャッジ)はコーチやアンパイヤといった中立的な立場の人に委ねられるということも子どもは学びました。
それが、年齢を重ねて中学生・・・高校生・・・となっていくと、今度はルールは二義的なものとなり、関心は「いかにルール違反ギリギリのところで勝って、ペナルティを課せられずに済むか」ということに移っていきます。
まあ、子どもの頃ってそんなものだったと思います。
でも、そうした経験が知らず知らずのうちに実は非常に役に立っていて、大人になって社会に出て働きに出たとき、ルールに従う/圧力に耐え忍ぶ/勝つまではあきらめない/仲間を信頼し尊重する・・・などといったことにその威力を発揮できたものです。
他人と一緒に何かをする・・・団体の中で何かを成し遂げる・・・ということに対する準備・トレーニングができていたわけです。
チームプレイでは、個人とチームの利益が対立する場合、チームのそれを優先して個人のそれを犠牲にするのが原則です。
そうでなくスタンドプレーばかりしていると、いくらスター選手といえども同僚から見離されてしまいます。
自分の実力に見合った競争が求められ、その中でベストを尽くすことが必要ですが、それはそっくりビジネスの世界/会社組織の中でも当てはまります。
「中立の立場の人がジャッジする」・・・という枠組みに中で「ルールを順守する」という姿勢を保ってきた経験がない人は、独善的で我が儘で、自己中心でしか物事が見えず、他人の迷惑を顧みない、程度の低い人間になります。
そんな生き方はNGだと思います。
「社会」という大きな枠の中にもルールは存在しますし、「会社」という小さな枠の中にもルールは存在しますし、「家庭」というさらに小さな枠の中でもルールは存在します。
人は一人きりで生きているわけではないことを前提に考えるなら、やはり周囲と強調し、ルールを守るという姿勢は貫くことが必要ですし、それを子どもの頃からしっかり認識指せ、教育・躾をすることは大切だと思います。