童話『アリとキリギリス』の話は有名です。
これは子ども向けの話でありながらも、大人に向けても実に教訓を与えてくれる話だと思います。
→ 夏のある日、あくせく働いていたアリに向かって、ちょうどそこへ通りかかったキリギリスが「もっと楽しく遊んで毎日を過ごしたらどうだい?!」と声をかけます。
アリはキリギリスにこう答えます。
「キリギリスさん、今は夏で気温も高いから半袖で過ごせるし食べ物もたくさんあるけど、いずれ寒い冬がきたら厚手の服も必要になるし食べ物もとれなくなりますよ。
今のうちに食べ物を集めて冬に備えておいたほうが良いのでは?そうしないと後で大変なことになると思いますよ」
でも、その声はキリギリスの耳に届いても心には届きません。
フン・・・と鼻で笑ってキリギリスは去っていきます。
その時になれば考えるさ、今はそんな先のことを考えてもしょうがない・・・とキリギリスは従来通りの生活パターンを繰り返します。
やがて秋の季節となり、つぎに冬の季節が到来します。
野原の草はすっかり枯れ果て、キリギリスの食料となるものはどこにもありません。
食糧に困ったキリギリスはアリの家に行き、食べ物を分けてくれないかと頼みます。
アリは「だからあれほど言ったのに!悪いけど家には自分たちの分しかないから分けてあげることはできない。さようなら。」と扉を閉めてお終(しま)いです。
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チャンスがあるうちにそのチャンスを活かそうと務める姿勢は大事です。
そうすることなくみすみすチャンスを見逃してしまうのは愚行・愚策です。
仮に春・夏の時期は良くても、秋・冬の時期が必ず来ます(←人生も同じです)。
その時になってから慌てても、もはやすでにとき遅し!です。
コロナ禍以前でも、あるいはコロナ禍が始まった後でも、将来の経済的不安に備えて複数の収入源を確保しておくことは誰にでも行なうチャンスがありました。
そのチャンスがあったのに、過去の自分の考え方や周囲の雰囲気に流され、結局何も行動を変えず、何も負荷を自分に与えることなくのほほんと日々を過ごしてきた・・・とすれば、まさにキリギリスの生きざまと同じです。
これからの人生がキリギリスと同じだと覚悟する必要があるかもしれません。
そして、これは来年の今ごろもまた同じことが言えるハズです。
スタートが少し出遅れた・・・としても、長い人生においては誤差の範囲内です。
大事なことは、自分の意識を変え、行動を起こすことにあると思います。
どんな人生を生きるかは己の心がけ次第ですが、有意義で後悔のないハッピーな人生をおくりたいものですね。