1945(昭和20)年9月2日、ミズーリ艦上での降伏文書調印のときの日本の外相は重光葵(しげみつ まもる)という人でした。
重光外相はこのとき「不名誉の終着点ではなく、再生の出発点である」と言ったそうですが、出来事は一つでもそれをポジティブにとらえるあたりは流石だと思います。
ところで、その調印後にもたらされた情報に「マッカーサーが日本の公用語を英語にしようとしている」という話があったそうです。
これを受けて翌日、重光はマッカーサーのもとを訪ねます。
マッカーサーは「意図は日本を破壊し奴隷化することではない」と主張しますが、重光外相は頑として納得せず、断固取り下げを要請したそうです。
粘り強く交渉を続けていくうちに、マッカーサーも次第に心を開き、ついに「貴下の主張は了解せり」と布告の取り下げを約束するに至ったそうです。
現代の私たち日本人が今こうして日本語を話したり書いたりしていられるのは、日本の公用語を英語にするというピンチから救った重光外相のおかげだと言っても過言ではないと思います。
ただし、うがった見方をすれば、もしそのときにそのまま英語を公用語としていたら今の日本人は皆英語を話せるようになっていたとも言えます。
人間万事塞翁が馬・・・です。
でも、私はやはり「日本語」が失われなくて良かった!と思っています。