子どもが親より先に死ぬことほど親不孝はない・・・と古今東西、よく言われます。
もちろんそうは言っても病気や突発的な事故など、そうなってしまうことは仕方がないことで、死者を責めるべきではありません。
子どもが親より先に死ぬと、独身の子どもであれば親が喪主となります。
そんな葬儀に参列すると、参列者もいたたまれない思いになります。
死因が病気や不慮の事故であっても親は辛いものですが、自殺が死因だと親の苦しみは計り知れないほど深くなります。
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今日の日本の死因のトップ3は、悪性腫瘍(がん)と心疾患と脳疾患ですが、10代、20代、30代に限って言えば、死因のトップは自殺だそうです。
コロナ禍によってその傾向が強まっていると聞きましたが、なんとも残念な話です。
40代でも、死因のトップこそ悪性腫瘍(がん)ですが、2位は自殺だとか。
なぜこうも日本人は自ら死を選んでしまうのか?
辛いことがあって、自分が死んでしまえばそれから解放される/離れることができる・・・、どうせ人間はいつか死ぬんだから・・・と自殺をする人は自分に言い聞かせ無理無理に納得するのかもしれません。
翻って自然界を考えたとき、野生動物は自殺をしないという原則に気づけます。
つまり、自殺は人間だけが行なう行為であり、野生動物は絶えず餓えや天敵などの死と隣り合わせで生きているわけで、その結果生き抜くためにいつも必死に生きています。
必死に「生きる」ことを選んでいるということは、その「生きる」ほうを選ばないのは、実は「必死には生きていない」ことを意味します。
人間は必死にならなくても生きていけるものです。
生きていけるから、余計なことを考えて「じゃあ、死んじゃおうかな・・・」となるのかもしれません。
自殺を考えるというのは、本人にしてみれば苦しいことからの解放かもしれないけど、実は必死で生きてはいない・・・ということが言えるのかもしれません。
中国・四書の一つ「大学」に「小人閑居して不善を為す」という言葉があります。
意味は「小人は他人の目がないと悪い事をするものだ」・・・です。
まさに、閑居しているから余計なことを考えて自殺という不善を為してしまうのかもしれません。
フランスの作家、アルベール・カミュは「真に重大な哲学上の問題はひとつしかない、自殺ということだ」と言っています。
言えるのは「自殺をさせるに至った背景・原因がどんなケースでも必ずあるハズですが、それは本人が自殺をしてもその背景・原因がなくなることは恐らくない
→ つまりは根本的な問題が解決するわけではない・・・ということです。
自殺をしても何ら問題解決には至らず、ただ単に人一人の命が消えて、その人に関係する人々(親など)が悲しみ苦しむという新たな問題を引き起こす原因を自らが作り、しかもそれを作った本人(=自殺者)は原因を作ったままいなくなってしまう・・・という何ともややこしいことが起きてしまうわけです。
親と不仲だからそうしたことは生じない・・・という理屈を言う人もいるかもしれませんが、いずれにしても「生きる」ことが大切だと思います。
そして、人は「環境を変える」ことでいくらでも人生を変えることができると私は思っていますし、自分の人生を自分で構築して幸せに暮らすことが重要だと思っています。